高欄には力士のレリーフなどが刻まれていました 気になる蔵前の名の由来は 幕府の御米蔵が、この地にあったことに由来します。 その蔵の前の地というのが、地名になったのだそうです この黄色は、米蔵らしく 稲の籾殻を連想させる黄色にしているのだそうです。 |
関東-東京都
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2006年9月両国橋(りょうごくばし)この橋に来たのは二度目になる 前に来たのは丁度一年前の九月 一年たって、またこんなことやってるよ しかも今回は、前回よりも長い距離を歩いて・・・あほだ前回の記事 ●墨田区-7-中央区-9-両国橋1「隅田川橋巡り」-05年9月 両国橋の歴史は隅田川の中でも古く 1660年頃のこと 千住大橋に続いて2番目に架けられた橋でした。 西の武蔵国、東の下総国を結ぶ橋ゆえに付けられた名前“両国橋” 江戸の橋というのは、災害と切り離せないものが多く 両国橋も例外ではありませんでした。 まずは架橋のきっかけ 当初、幕府は隅田川の橋を防備の面から千住大橋以外に認めてきませんでした。 しかし、1657年の大火事(明暦の大火)の際 逃げ道となる橋がないことから多くの町民が炎の犠牲となったのだそうです。 そこで、慣例を曲げ、防火防災の面から、架橋を認めたのだそうです。 この架橋により、深川方面の文化発展に寄与したといわれています。 また、事故も度々あったのですが 明治30年(1897年)8月 夏の大花火大会の最中、群がる町民の重さに耐えられず 欄干が崩落 多くの死傷者を出したといいます。 その結果、鉄橋に架けかわると そこに襲った関東大震災 震災では、幸いのことながら大きな損傷はなかったといいますが 構造を見直され、現在の橋に架け替えられたのだそうです。 |
この橋の歴史は古く元禄6年(1693年)まで遡る だいたい1700年前後というのは、様々な出来事が重なり 江戸時代でも最もドラマチックな時代の一つ 将軍でいえば、五代目将軍の徳川綱吉公 綱吉の母“桂昌院”が、 橋の少なく不便を強いられていた市民のためにと将軍に勧めたといわれています この橋の架かる様子を松尾芭蕉が詩に残していました。 「初雪や かけかかりたる 橋の上」 「ありがたや いただいて踏む はしの霜」 |





