東北-山形県

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2008年初夏

文翔館

雨が降り出しそうな曇り空の下やってきました。

文翔館と呼ばれる国の重要文化財
山形県旧県庁舎
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レンガ造りのこの建物 大正5年に建てられると、その後は昭和59年までに新庁舎が完成されるまで、 実際に庁舎として使用されていた建物です。 国の重要文化財に指定されると同時に10年の歳月をかけて改修工事が行われ 「文翔館」と名付けられ、郷土資料館として一般に開放されています。
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入口に近づくと、その豪華な造りと圧倒される存在感に気圧されるほどである。
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中に入るとこのとおり 気分はハイカラさんそのままといったところ。
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こちらは旧知事室 こんなところで職務にあたっていたら落ち着かないと思うのは僕だけだろうか
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バルコニーに出て外を眺める おそらく電線も地中に埋められているのであろう すーっと綺麗に、まっすぐに道路が延びているのがわかる きっと道路側から見ても、邪魔になる物も少なく 綺麗な文翔館の姿を見ることができるであろう。
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札幌の時計台に次いで全国二番目の古さを持つという時計台 この重厚な存在感、周囲の景観も含めれば 日本三大がっかりスポットといわれる札幌の時計台より上かもしれない しかし、そのがっかり具合がまた札幌時計台の人気の秘密なのかもしれない。
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旧県庁舎と隣接して建つ 綺麗にレンガの敷き詰められた先にある建物 こちらは旧県会議事堂だそうな。

2008年初夏

湯殿山神社

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本社は、出羽三山のひとつ湯殿山を鎮座する湯殿山神社 ここは、その分社 祀られているのは 大山祇神(おおやまつみのかみ) 大己貴命(おおなむちのみこと) 少彦名命(すくなひこなのみこと)
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明治9年 県庁舎建設の地の鎮守の神として湯殿山神社を勧請しました。 その後、県庁舎を中心に街が発展するに従い 街の守り神として仰がれるようになったようです。 そのお隣に鎮座されてましたお社
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“市神神社”と書いて“いちがみさま”と呼ばれてます。
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山形の初春の風物詩 初市の繁盛を見守る七福神の一人“恵比寿様”を祀っています。

2008年初夏

豊烈神社

山形市内を歩いていると目に入った神社
“豊烈神社”
“豊”という字が入っているので、豊臣秀吉関係の神社かなと思いのぞいてみると

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祀られていたのは 天保の改革を行ったことで有名な水野忠邦 その創建は、水野忠邦が当時城主だった静岡の浜松城に藩祖である水野忠元を祭神としてことにはじまった。 その後、天保の改革で失脚し、山形藩に移封されたことに伴い、ここ山形にも豊烈神社を建立したのだそうです。 実在する人が神となって祀られる例は数多くありますが、ここもそのような神社の一つでした。 では、なぜ幕府の老中までつとめた水野忠邦は山形に来ることになってしまったのか。
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時は幕末 ペリー来航の20年程前となる1830年(ペリーの来航は1853年) 時の将軍は、徳川12代徳川家慶 水野忠邦「殿、幕府の財政はピンチでござる。いまこそ改革が必要なのです」 徳川家慶「うむ、そうせい」 こうして天保の改革がはじまった 水野忠邦「ひとーつ。江戸に人多すぎ。江戸に住む農村出身者は、故郷に帰って農業に就くこと」 農  民「まじっすか!?」 水野忠邦「ふたーつ。商人の独占販売禁止。物価の高騰は許さない。経済は自由であるべき」 商  人「そんな殺生な」 水野忠邦「みっつ。江戸、大阪の周りは幕府の直轄地にして治安を維持するべき」 大  名「それはさすがにやりすぎだろ。反対」 水野忠邦「よっつ。借金の金利を引き下げるよ。」 金貸し 「もうからないなら貸さないよ。貸し渋りだ。」 町  人「ぐえっ・・・・・」 さらには腹心の遠山景元は 遠山景元「忠邦の兄貴。それはちょっとやりすぎじゃありませんかね。俺はいち抜けた」 庶民男 「遠山さん、かっけーーー。惚れたぜ」 遠山景元「この金さんの桜吹雪、散らせるものなら散らしてみやがれ〜〜〜!!!」 庶民女 「きゃーーー、金さん、こっち向いて〜〜♪」 遠山の金さんとして人気者となる。 こうして江戸の町の恨みを買った水野忠邦は失脚 山形藩へと移封を命ぜられたのです。
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そんな水野家を祀る神社でございました。 とはいえ、改革の失敗は水野忠邦だけの責任ではなく すでに幕府の権威も失墜している中で、旧態依然の組織や大奥の妨害 身体が弱かった徳川家慶公の次の将軍争いなどの権力争いもあったことも事実である。 ちなみに、大河ドラマで有名になった篤姫は、徳川家慶公の次の将軍 13代徳川家定公の妻となったお方です。

2008年初夏

山形の市内を散策する



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駒姫の菩提を弔う専称寺
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権謀術数を用いての心理戦を得意としていたことから “羽州の狐”と呼ばれた最上義光には娘がいた。 その名を“駒姫”といった。 その美しさは東北一とも謳われた。 ある時のこと 最上義光「おいらは狐。羽州の狐。最上義光ずら。娘の幸せがおらの幸せずら」 豊臣秀次「おれ、関白、豊臣秀吉の養子。駒姫たん、かわゆすなぁ」 最上義光「駒姫は、おらの自慢の娘ずら」 豊臣秀次「おれ、関白。駒姫たん、手籠にしたい。俺によこせ」 最上義光「ダメずら」 豊臣秀次「おれ、関白。お前の家、つぶすぞ」 最上義光「仕方ないずら。幸せにしてくれずら」    ・    ・    ・    ・ 豊臣秀次が京にもどってしばらくして 豊臣秀吉「わし、秀吉。秀次、お前なんか疑わしいから切腹じゃん」 豊臣秀次「おれ、関白・・・・・・失脚!?」
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そして駒姫も・・・・・・ 豊臣秀吉「わし、秀吉。側室も全部処刑じゃん」 最上義光「おいらは狐。羽州の狐。駒姫だけでも助けてくれずら」 豊臣秀吉「そんなのだめじゃん。残しといたら、わしの命が危ないじゃん」 最上義光の嘆願もむなしく 駒姫も側室の一人ということで京都三条河原にて処刑されてしまった。 最上義光「猿、許すまじ。狐の執念深さ、覚えていろ。コーーーーーン」 義光の怒りと悲しみはすさまじく これが後年の関ヶ原にて、最上義光が徳川側についた理由ともいわれている。
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この専称寺は、元は天童市にあったものを 最上義光が、駒姫の菩提を弔うために山形に移建したものでした。 現在の本堂は1703年に再建されたものである。

2008年初夏

4年ぶり2度目となる山形市
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風薫る心地よい新緑の道を歩いての散策 山形城址へとやってきた
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スーツを腕にかけて歩く社会人の姿 まだまだ涼しさの残る過ごしやすい季節
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山形を治めていた藩主最上義光公の山形城。 別名を霞城とも呼ばれる山形城 この時もまた4年前と同じ景色を映していた。
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時は戦国、各地で群優雅割拠し 戦場で覇を競いあっていた時代 その生涯を全力で駆け抜けた一人の英雄が ここ山形にも舞い降りた 山形の最盛期を築いた最上義光公である。


最近では、独眼竜こと伊達政宗が戦国武将ランキングの5本の指に入る人気によって
東北での武将人気度勢力図は伊達家に軍配があがっているが
その伊達と常に互角の戦いを続けたのが最上義光であった。

しかし、伊達政宗の人気が上がれば上がるほど、最上義光の人気は下がっていく
その理由は、政宗のライバルだからではない

ただ一点
政宗の母である義姫が、最上義光の妹であったからにつきるといえる。

母による政宗の毒殺を謀った歴史は、政宗をさらに悲劇の主人公へと引き上げたのである。


さて、話は最上義光に戻すとしよう

●(最上義光公 勇戦の像)
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中央で織田信長が没し 豊臣秀吉が日の本統一に向けて小田原城を攻めると小田原に参陣。 豊臣家との接近を計り、秀吉の養子秀次に妹である駒姫を嫁がせたのだが その駒姫が処刑されてしまった。 これによって豊臣家から徳川家へと変えて、その結びつきを強めていった。 その後、秀吉は、徳川に味方する大名を牽制するように 山形のすぐ南の会津・米沢には上杉景勝率いる家臣(直江兼継等)が移封されてきたことで 東北は、独特の熱を帯びる地域となっていった。
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そして、そんな両者が激突したのが 1600年「長谷堂城の戦い」であった。 その話題の中心にいるのは 東軍(徳川家康側):伊達政宗、最上義光 西軍(石田光成側):上杉景勝 等である。 1600年、ご存じ関ヶ原で徳川家康と石田光成が日本統一を賭けて戦った年である。 東北では、上杉景勝が直江兼継等の国造り政策によって圧倒的な国力を保持していた。 それでも、上杉家に降伏するをよしとしなかった最上義光は、上杉景勝と対峙する。 直江兼継の兵力2万5千人に対して 最上義光の兵力は7000人余 上杉景勝は、直江兼継を大将として戦をしかけた。 怒涛の勢いで攻め上がる直江軍を迎え撃った最後の砦が長谷堂城であった。 陣頭に立って直江兼継を相手に奮戦する最上義光。 しかし、いかんせん、3倍以上もの兵力差を覆すのは不可能 最上義光の命も風前の灯となった。 そこに一つの救いがもたらされた 関ヶ原での石田光成の敗戦の報である。 石田光成についていた直江兼継は、これにより撤退を余儀なくされる。 最上義光が圧倒的な兵力差の中、城を守りぬいたのである。 この上杉家の進行を防いだ功によって 最上義光は、現在の山形県を中心とした57万石を領する大大名となり 出羽山形藩の初代藩主となったのでした。

天守跡を眺めると
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4年前には工事中であった橋が見事に架けられていた。
●参考過去記事-山形市-12-霞城公園1「城跡」-04年8月


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