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さて、美術館の中は流石に撮影ができなかったのですが・・・(^_^)
穴場の美術館だけあって貸し切り状態!
ゆっくりと展示品を楽しみました。
その後、吉田神社に向かう為に、でも、いつもの経路ではないところに・・・。
先ほどの岡崎神社の裏手です。
裏手道をテクテクと歩き・・・,ある場所へ。
階段を登って行く途中でみた京都の景色はこれです。
あるお寺です。
会津小鉄氏の墓石です。
会津藩が京都ので京都守護職として責務を果たされていた時代に活躍されました。
鳥羽/伏見の戦いでは子分を軍夫として動員をされていたそうです。
そして大阪出身にも関わらず会津若松まで赴いたそうです。
松平容保様は、徳川御三家の血筋で、今なお残る御写真を
拝見すると美男子で、やはり弱々しい面持ちながら
新撰組の面々、そして、このように 筋の通った方々、
一方で時の天子様である孝明天皇からも信頼が厚い
とても不思議な魅力のある方だと思います。
そして、・・・進むこと数分。
残念ながら桜は散ってしまっていましたが
新緑の柔らかい日差しが会津の御霊を包んでいました。
このまわりには本当に沢山の桜と紅葉。そして
陽の光が降り注いでいました。
色々なお寺でこのような殉職の碑を祀っている場所を見る事がありますが
この場の 碑には 「会津のお城」つまり、鶴ヶ城の写真や絵が沢山
飾られていました。
その雰囲気は、一昨年の震災前に訪問した雪の鶴ヶ城と同じ。
司馬遼太郎氏が「会津の戦は、近代の日本史上の唯一の革命の戦いである。」
とおっしゃった言葉がよぎりました。
も、お分かりですよね。岡崎神社の裏手にある、 金戒光明寺です。
浄土宗のお寺として有名なところです。
ドラマや映画で使われると、便乗商法で
その神聖なる場所そのものや周辺が 妙ににぎやかしくなるものですが
ここは昔と変わらず。便乗にものらず・・・。いつものまま。
先日、京都大学に講演に来られた方も
以前と変わらない姿勢が とてもよい と・・・。おっしゃられていました。
会津の縁の場に足を運ばれる方は
少し増えたようなきもしましたが
他の観光地に比べれば、全く少ない人出。
本当に、興味のある方だけが足を運び
ゆっくりと散策できるのは、嬉しい限りです。
ちなみに、この会津の碑が建立されたのが 明治43年。
松平容保様が その名誉を回復された後に
京都の会津縁の方々を中心に建てられたようです。
つづく。
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新緑の軟らかい緑と石段の色の調和が何とも云えず落ち着きます。
白色に縁取られた笹も久し振りに見ました。これも何処でも見られたものでしたが今は希少になりましたね。^^
[ goodじいさん ]
2013/5/5(日) 午前 7:51
goodさま
こんばんは。京都ではこの 白ふちの笹、よく見られます。
鹿ヶ谷ある、ある財閥の本家も、お庭への回廊がこの 白ふちの笹でつくられて、とても素敵でした。
[ さかき きこ ]
2013/5/5(日) 午後 11:11
子鉄・・・記憶を一生懸命辿っていましたがやっと思い出しました。
新撰組の近藤勇が腰に指していた大業物の「長曽根虎鉄」・・今宵の虎鉄は血に植えている。・・で有名な剣です。
試し切りでは4人を重ねた人間の胴を切り落としたと言われている「名刀」の一つです。あはは〜間違えちゃいました。^^
[ goodじいさん ]
2013/5/5(日) 午後 11:19
goodさま
今回、この場所はおおくの 「おじさま」方が 記念写真を撮られていました。
時代は遡り、色々な歴史の逸話はありますが 会津にたいする
「男気」を感じるお話は、今の草食系男子には 刺激が強いかもしれませんね。
[ さかき きこ ]
2013/5/5(日) 午後 11:56