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玲瓏
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本当の愛妻家は・・・

昨日、7月27日は 
ブログの先輩マッシュアンドフルーツの男前のお二人のブログ記念日です。
おめでとうございます!!(本当は、昨日アップしないといけなかったのです。ごめんなさい)
 
と、今日のお話は昨年NHKのある番組でも放映された内容かと思います。
が、素敵なお話なので・・・.
 
 いまから、425年前(1586年)の7月27日、加賀百万石と言われた前田利家の娘、豪姫が宇喜多秀家に輿入れしました。
 宇喜多秀家(1573〜1655)、といえば、そうです。関ヶ原の戦い(1600年)で名を知った方も多い人物です。
 
 宇喜多秀家は備前岡山藩57万石の大名であった宇喜田直家の息子でした。直家の死後家督を相続いたしましたが豊臣秀吉が信長の命を受け毛利征伐をした際に、秀吉に加勢しそれ以降、秀吉の寵愛を受けるようになりました。
 そして、その頃から秀吉の「秀」の字をとった秀家(羽柴秀家)と名乗るようになりました。
現存する、宇喜多秀家の人物画では細面の昭和の二枚目俳優のような面立ちです。実際に当時の男性の中では長身(170センチ以上)でやはり二枚目だったようです。(笑)
 
 秀吉の備中高松城(岡山)攻めの最中に本能寺の変(1582年)が起こり、信長が死去すると秀吉は毛利輝と和睦し、急遽大坂に戻り(これが中国大返し)、山崎の合戦で明智光秀を打ち破りました。
 その後、秀吉は天下統一を果たしそのときから宇喜多秀家は備中東〜美作・備前をもらい大大名になると同時に毛利家の監視役を務める事になりました。
 そして1586年7月27日、前田利家の娘、豪姫が輿入れしました。
 ところが、秀吉の死後(1598年)、豪姫の父前田利家も翌年(1599年)亡くなり、豊臣家内では武闘派の加藤清正・福島正則と文治派の石田三成・小西行長らとの派閥抗争が表面化することになりました。
 これに乗じた徳川家康は豊臣家のおける影響力を強め、
加藤清正ら武闘派7将による石田三成襲撃事件が勃発しましたが、豊臣家に忠誠を誓っていた宇喜田秀家は、石田三成を救出しました。
 
 1600年、家康が東北の上杉景勝討伐の為に出兵している樹を見計らい、石田三成が毛利輝元を西軍大将に担ぎ、打倒家康のために挙兵し関ヶ原の戦いが起こりました。
(最近の大河ドラマなら「天地人」が上杉側の視点からこのあたりを描写していましたよね。)
 宇喜田秀家は西軍の副大将として石田三成、大谷吉継らとともに家康の断罪の文を発し西軍主力として積極的に戦い東軍の福島正則隊と激戦を繰り広げたのでした。
 
 しかし、同じ豊臣一門である小早川秀秋の裏切りで西軍は総崩れとなります。小早川秀秋は秀吉の妻 おね の甥っ子、近江長浜で生まれ木下姓を名乗っていましたが、後に秀吉の養子となりました。彼は7歳で丹波亀山城(亀岡城)の10万石の大名となりますが、秀吉の世継ぎ秀頼がうまれたために、秀吉に疎まれ、小早川家に養子に出されます。
小早川秀秋が西軍を裏切ったのは世継ぎで秀頼がうまれた際に、秀吉に疎まれたのが原因であったとも言われています。(他にも、この秀秋の離反については、当初から家老の平岡頼勝らと東軍の黒田長政が中心となって工作が行われており、長政と浅野幸長の連名による「我々は北政所(おね)様の為に動いている」と書かれた書状が現存しています、いずれにしろ、この時代の人間関係も現代と同じように複雑ですね。)
 
 さて、この小早川秀秋率いる隊に激怒した秀家は「小早川陣中に乗り込み、秀秋をたたききってやる」と叫んだと言われていますが、家臣に制止されやむなく落ちのびていきました。
伊吹山中に逃れた後、変装して薩摩の島津義弘を頼って落ち延び、牛根郷(現在の鹿児島県垂水市)というところで島津にかくまわれる事になりました。
 
 一方、東軍勝利の立役者となった小早川秀秋は関ヶ原の合戦後、功労として宇喜多秀家の所領をもらい受け、備前と美作にまたがる岡山藩55万石の大大名となりましたが翌々年(1602年)に21歳で毒殺されてなくなり、世継ぎもなかったためにお家断絶となりました。
(小早川秀秋の死因についても諸説あります。石田三成の亡霊におびえたとか。
岡山での積極的な市中政策とは異なり身辺では、家老の稲葉正成が出奔し、同じく家老が村山越中守に斬殺されるなどの事件も起きている中での秀秋の死です。この早世に関して、大谷吉継が関ヶ原の合戦において自害する際、秀秋の陣に向かって「人面獣心なり。三年の間に祟りをなさん」と言って切腹しており、この祟りによって狂乱して死亡に至ったという説があり、日本史の授業ではこの話で習いました。
 しかしながら、秀秋が養子となった小早川隆景は毛利元就の第三子が安芸の小早川家を継ぎました。西軍の大将、毛利輝元は毛利元就の嫡孫です。やはり毛利と縁戚の関係がある小早川家が大大名として瀬戸内海の要、岡山城の君主とするのは徳川の治世を始める上では危険だと考え、毒殺したのではないかと思い、この説をとりました。)

 一方、鹿児島で悠々自適の生活をしていた宇喜多秀家でしたが、「島津氏が秀家を庇護している」との噂が広まり、1603年薩摩藩島津忠恒(島津義弘の子)によって家康の元へ身柄を引き渡される事になりました。
 徳川家康としては豊臣家に加勢した西軍の副大将である秀家を普通なら死罪にするところでしたが、豪姫の実家の前田家の懇願により罪一等を減じられ、結果死罪は免れましたが、嫡男・次男とともに伊豆の八丈島へ島流しとなり、豪姫は実家の加賀へ戻る事になりました。
 
 当時の八丈島は絶海の孤島でした。秀家は宇喜田を「浮田」と改め、豪姫と前だけの米の支援(年70俵の米の援助)で生きながらえ、終世豪姫を偲びながら八丈島で50年過ごしたそうです。(宇喜田秀家は愛妻家であった事でも有名です。また豪姫も八丈島に配流となった秀家と二人の息子に再び会うことはかいませんでしたが、豪姫は生涯、その身を案じ続けました。
 これに感じ入った加賀三代藩主・前田利常(豪姫の弟)が幕府と交渉した結果、1年おきに八丈島に米などの物資を送ることが許され、以後幕末まで、前田家から八丈島の秀家子孫に対する援助が続けられたそうです。
 
 1655年の11月20日、秀家は83歳でこの世を去りました。
当時の衛生環境を考えると、今なら100歳ぐらいではないでしょうか。また、天下分け目の関ヶ原の合戦に参加した武将の中でも一番長生きだったとおもいます。
 明治以降も浮田姓を名乗った子孫は現在でも秀家の墓を守っているそうです。
私はNHKの番組で八丈島の海岸で、秀家と豪姫の石像が建てられているのを見て、「美しいな」と思いました。戦乱の世の中で、50年も離れて暮らしていた二人が、当時よりは少し落ち着いている現代で海を見ながらたたずむ姿は、映像の影響もあるのでしょうが、青い海を見つめ本当に美しかったのです。
 
さて、関ヶ原はこの豊臣家と徳川家の戦いで有名ですが、もう一つ有名な戦いがあったところです。
それは「壬申の乱」です。
こちらの話はまた次回に続けるとして、
毎年関ヶ原の合戦日にこの関ヶ原ではお祭りをしています。
今年は大河ドラマ「江」の影響でまた見物客も大勢だと思いますが、関ヶ原の合戦上のたち、今の仕事の戦い(それ以外にも戦い)と思いを比べてみるのも、人生の轍を振り返るいい機会なのかも知れません。

  • 顔アイコン

    鳥取城の屋根瓦の紋章が岡山城のそれと一致
    興味を持ち中一の頃図書館へ通い調べた事があり、さかきさこさんのコメを読みながら懐かしさ一杯になりました。
    備後・備中・備前とこの辺りもころころと城主が変わり結構おもしろいです。「壬申の乱」楽しみにしていますよ!

    [ goodじいさん ]

    2011/7/28(木) 午後 11:07

  • 顔アイコン

    お褒めいただきありがとうございます。
    戦国時代だと知った名前が多くでてきます。
    確か近所に福島正則のゆかりの地があります。
    去年は、大河ドラマ見てましたが今年は見てないですね。
    昔の大河ドラマみたいに豪快な戦国武将の話がいいですね。

    [ 僕隊長 ]

    2011/7/29(金) 午後 0:29

  • 顔アイコン

    記事に書いて頂けるとは!ありがとうございます!
    江戸時代に83歳まで生きた人がいるなんて驚きです!

    [ ナガノケンミン ]

    2011/7/29(金) 午後 0:51

  • goodじいさんさま
    こんにちは。岡山と米子、島根、出雲は戦国時代よりもはるか昔の邪馬台国時代から関係が深い土地柄だそうですね。
    調べるほど奥が深い場所なので県境で撮影された映画『八つ墓村』の風景や土地のしきたりも
    点が線になっていきます。またいろいろご教示下さい

    [ さかき きこ ]

    2011/7/30(土) 午後 1:12

  • 僕隊長様
    こんにちは。マッシュ&フルーツのHPからも隊長さんの男前ぶりは伝わりますよ〜
    私は大河ドラマでの一番のお気に入りが「伊達政宗」です。渡辺謙さんの伊達政宗も格好良く、ステキでした

    あとは『秀吉』。沢口靖子さんと竹中直人さんの時もおもしろかったですね。
    今回の大河は私も見ていません。ファンタジーすぎますよね。

    来年の平清盛は興味があります。日本各地に平家の落人の話があり現代まで続く名産品もつくられていますよね。
    平家と源氏。すごく不思議な一族だとおもいます。

    [ さかき きこ ]

    2011/7/30(土) 午後 1:29

  • ナガノケンミンさま
    こんにちは。次回ご紹介をさせていただくときにはリンクをはらせて下さいね
    八丈島って遠山の金さん では罪人にお白砂で「八丈島遠方を〜」なんて台詞があるから、どんなとこっ?て勘違いしてしまいますよね。
    温かい所で、時間がゆっくりなので、長生きしやすい環境が秀家には整っていたんでしょうね。

    [ さかき きこ ]

    2011/7/30(土) 午後 1:35

  • ハオー
    初めまして
    インディアンと申します
    訪問履歴から来させて頂きました
    よろしくお願いいたします
    僕の出た高校の歴史の教師は「宇喜多」家の子孫でした
    宇喜多先生は2年の時の担任で鼻筋の通った良い男でした
    残念ながら10年ぐらい前に他界されましたが僕を更正させてくれた人の内の一人です
    これからもよろしくお願いします

    [ インディアン ]

    2011/7/31(日) 午後 1:22

  • インディアン様
    はじめまして。コメントありがとうございます。
    恩師が宇喜多家の末裔とは、すごい出会いですね。天下を取った豊臣家の末裔は『プリンセストヨトミ』止まりですものね。

    [ さかき きこ ]

    2011/7/31(日) 午後 4:23

さかき きこ
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