ここから本文です
玲瓏
ようやく、ペースをつかんできました。(*´∀`*) 今年も、どうぞご贔屓に??

書庫全体表示

 今回は私が毎地に通勤する御堂筋を中心に後藤新平が活躍した時代、明治後期から大正、昭和初期にかけての大阪についてお話を進めたく思います。過去への時間線を遡る御堂筋のお散歩コースです。
 大阪市は明治時代から昭和初期には、政府が造幣局や砲兵工廠を置き、金属、繊維産業を中心に商社や卸売、新聞などの商工業が発展し、東京以上に繁栄し「東洋マンチェスター」と称されていました。関東大震災以降には東京からの移住者も加わって大阪市は日本最大の都市となり、世界でも第6位の都市となりました。 
 当時の人々は更なる繁栄を確信し大阪に「大」の一文字を冠につけ「大大阪」と呼んだそうです。今でも当時の大阪の大都市、いわゆる船場界隈を歩くと「大大阪」時代の雰囲気を実感できる多くの建築物に出会う事が出来ます。
 しかしながら、水の都と称されていた大阪は産業の発展とともに「煙の都」とも言われるようになってしまいました。市内の住環境の悪化については阪急文化圏の創設者、小林翁の所でも少し触れていますが、大阪から神戸までの港沿いの阪神工業地帯の一部での住環境は悪化し、働く場所と住む場所の分離を進め鉄道沿線上に住まいのための都市開発を行ったのが在阪私鉄各社であり、今日まで続く都市開発の戦略でもあったのです。ここで、ざっと当時の大阪市について確認をしてみましょう。
1868年、明治新政府が大阪府を設置。大坂市街地を管轄させるとともに川口に外国人居留地を設置します。
1873年、岩崎弥太郎が三菱商会を西区堀江に設立。(意外と思われるかもしれませんが三菱商会は大阪に本社があり1874年に本社を東京に移し郵便汽船三菱会社と改名をしました。)
1889年(明治21年)、大阪府下4区を大阪市とし、市制施行。特例のため、大阪府知事が大阪市長を兼務しました。
1897年(明治30年)、第一次市域拡張。このころの大阪は先に述べました都市問題が発生し、住民の郊外脱出と市区改正に翻弄されていました。翌年には特例が廃止され、大阪市が独立します。
1903年 第五回内国勧業博覧会開催。(第四回は前回のお話の京都です。)この博覧会で初めて海外からの出品があり、日本で初めての万国博覧会であったとも言われています。また、この博覧会の目玉がパリのエッフェル塔をモチーフにしたという通天閣が竣工したのです。
1913年、今も大阪のシンボルマーク中央公会堂が竣工しました。(この中央公会堂のお話だけでも長くなりますので、今回はあっさりと)堂島側からみるライトアップされた中央公会堂は幻想的ですよ。毎年12月から御堂筋一帯がイルミネーションでとても美しく輝く時期があります。一度足をお運びいただきたいな〜と思います。
★1921年(大正11年)、住友合資会社が設立。(「日本の財閥」という本でもおなじみですが、世界の財閥の中でも一番歴史が古いと言われている住友家は家祖と業祖と2つの創業者が存在します。現在、わかっているだけでも300年以上の歴史を持つこの財閥だけ取り上げても一年はブログの話題があると思います。)
★1923年(大正12年)關一(せき はじめ)が大阪市長(第7代)となる。 
★1925年(大正14年) 第二次市域拡張
★1929年 世界初のターミナル百貨店、阪急百貨店は梅田駅に開業。
  ざっと、見ていただくとお気づきと思いますが、第五回内国博覧会以降に大阪は「大大阪」たるに着々と都市開発が進み当時の政府が一目置く産業、企業が軒並み大阪より台頭しているのがわかります。
 ここでポイントは、①大阪市長の關一(せき はじめ)氏、②1925年(第二次大阪市域拡張など、この都市の大阪での出来事)、③そして民都大阪の雄、小林翁の阪急文化圏が1929年、梅田のターミナル百貨店の誕生で完成したことです。
さて、今日はこの大阪市長となった關一(せき はじめ)氏についてお話をし、次回につなげたいと思います。前の大阪市長(第17代)、關淳一市長は關一氏のお孫さんです。
1873年、静岡県の伊豆に小学校教員の家庭に生まれた關一氏は、高等商業学校(現在の一橋大学)教授を長らく務め、交通政策や社会政策で実績をあげていた学者でした。「シティプランニング」という外来語を「都市計画」という訳をあて、最初にその用語を使ったとも言われています。
1914年にその業績を行政の現場に行かすべく、大阪に移り、大阪市高級助役になりました。關氏の業績としては次回以降にもお話をしますが、御堂筋の拡幅や、市営講演、公営住宅の整備、今の大阪市営地下鉄御堂筋線の建設、大阪城天守閣の再建、大阪商科大学(今の大阪市立大学)の開設など、大阪の都市政策を実行しました。
 また、当時の都市化に伴う公害問題では科学的調査に基づいて、あえて行政側の責任を認めました。この事件は裁判となり、結果として、戦前としてはきわめて珍しい行政裁判所における行政側敗訴事例となる。さらに、裁判に並行して積極的に被害者の救済策に乗り出すなど、環境政策の先駆者としての一面も持っています。
 關氏が市長となっておこなった第二次市域拡張は、昭和天皇(当時、裕仁皇太子)の1925年の大阪行幸にも深く関係があります。
 また、彼の都市計画が実行されていくと、東京からも地方自治モデルとして仰がれいきます。目抜き通りの「御堂筋」の拡幅については、当時復興院総裁として挫折を味わっていた後藤新平や裕仁皇太子からも関心を寄せられるほどの当時の都市計画としては斬新な計画だったようです。
 毎回長くなり、申し訳ございません。
 今回は、特に読んでいただいた方が「是非、次のお休みに御堂筋をお散歩してみたい!」って思ってもらえるように・・・と思っています。
毎日通勤する御堂筋ですが、視点を変えてお散歩すると初めて来た街のような新鮮な感動を覚えます。ぜひ、次回もよろしくです!

  • 顔アイコン

    財閥の系譜・・には泣かされた事がありますね。^^
    お中元に「札幌ビール」の券を300枚持っていったら、君はうちの事を勉強してから来なさい!別の系列のものをもってきて何を考えているの!得意先からは起こられるは、帰社してから起こられるは・・
    あはは〜〜いい勉強になりましたね。^^
    それ程財閥の系列は凄いものがありますね。^^
    住友なんか凄いですもん!新居浜なんか街一つ住友一色ですよ。^^

    [ goodじいさん ]

    2011/9/19(月) 午前 8:01

  • 顔アイコン

    おはようございます。

    橋元知事が、大阪都構想を立ち上げたのも
    この一昔の繁栄を考えての事なのかしら?と 思いました。
    もちろん、一極集中の是非もあるのでしょうが、
    さかきさんのブログを読むにつけ
    大阪のプライドもあるような気がして・・考えすぎかしら

    nekobatoru

    2011/9/19(月) 午前 8:24

  • 顔アイコン

    goodじいさんさま
    こんにちは。友人の結婚式で三井(新郎)VS三菱(新婦)の戦いみたな祝辞合戦とドリンク類の戦いがあってビックリするやら、おもしろいやらで・・・.

    箕面の滝よりお昼までにはお家に帰りました。こうやって、運動不足の解消をしています!

    [ さかき きこ ]

    2011/9/19(月) 午後 3:32

  • nekobatoruさま
    橋下知事は東京都(都知事)並のお金と権力が欲しい…って見えてしまいます。
    もちろんブレーンの堺屋太一さんは五代友厚みたいに考えているのでは…と。

    [ さかき きこ ]

    2011/9/19(月) 午後 5:10

さかき きこ
さかき きこ
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
友だち(10)
  • 淡路のキジウチ
  • ナガノケンミン
  • Grgr_Prlmn
  • sharu24jp
  • 僕隊長
  • こたつ猫
友だち一覧

過去の記事一覧

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事