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今回も「大大阪」時代のお散歩におつきあいください。
さて、「大大阪」時代の雰囲気を実感するには、外せない場所があります。どこよりも遺構がおおい北浜界隈のお散歩を、時間軸を遡って始めましょう。
北浜界隈は江戸時代すでに金を扱う会所、いわゆる江戸時代の株仲間の事務所(金の他に米や銀なども扱っていました)を中心に国内有数の商人の街として知られていました。
文明開化後、すなわち明治時代以降も株式取引所が開設され、「東洋のウォール街」の異名をとる繁栄がありました。北浜は御堂筋より東側に平行に通る堺筋という通りを軸に広がっています。(通り、筋は御堂筋のお話の時の通りです。大阪市の中心街も京都と同じように道は碁盤の目にはしっているんですよ。)
堺筋の交差点に面して「株の街」の象徴である大阪証券取引所がデーンと構えています。交差点の敷地を活かして西北隅に正面玄関にもうけ大きな角柱を楕円形にめぐらせています。
2004年に新ビルとしてリニューアルしましたが、円形のエントランスホールの外観のみ残されています。
正面玄関には五代友厚氏の銅像があります。(五代友厚氏のお話の中でも登場しています。)大阪証券取引所は長谷部鋭吉氏と竹越健造氏の代表作です。
長谷部氏は住友の営繕にあって、関西建築界の隆盛を尽くしました。後に長谷部・竹越建築事務所(今の日建設計の前進)を興しました。
以前、御堂筋のお話の中で御堂筋を中心に向かって右が住友村、左が日生村とのお話をしましたが、住友村の象徴、住友ビルディング(三井住友銀行大阪本店)と日生村の象徴、日本生命本社ビル(今、建直しをしていますが)はこの長谷部・竹越建築事務所の作品です。竹越氏は英国王立建築協会の建築士資格試験に日本人として初めて合格。長谷部竹越建築事務所に依頼が出来る事は当時のステイタスだったのでしょうね。
さて、大阪証券取引所の北向いに位置するレンガ造りの小さな洋館「北浜レトロビルヂング」があります。近代的なビルに挟まれるように佇み、国の登録有形文化財にも指定されているこの建物は、明治45年(1912)に株仲買商(証券会社)の商館として建てられ、戦後は商社として利用された後、廃ビルとなっていたところを、建築当時の雰囲気そのままに英国式ティールームとしてリノベーション。「北浜レトロ」として、女性に人気です。サロン北側の窓際の席からは土佐堀川越しに中之島公園のバラ園を見渡すことができ、反対側の窓からはビジネス街としての北浜の風景を眺めることができます。このビルは川に面した裏側もきちんとデザインされているのが特徴です。対岸や船からの眺めも意識している点がさすが「水の都」ですね。
さて、この大阪証券取引所の前の目抜き通り堺筋を南へ下っていきましょう。
まず目につくのは「生駒時計店」。
時計店らしく、時計台を設けています。文字盤下の窓を振り子に見立てているのがとってもおしゃれ。外壁にはろうそくなどを描くテラコッタ装飾があります。図案が何を意味するのか当主も謎だと言うくらいの細工が施されています。テラコッタ以外の例として窓の周りの花崗岩の細工、化粧がわらなど。多様な装飾が独特の表情を醸し出しています。近代的なビルと比べるとこちらも芝川ビル同様、小さいビルなのですが大大阪時代の商業ビルのモダンで粋な表情がよくわかります。
堺筋から少し西側、ちょうど御堂筋と堺筋の中間点、三休橋筋(さんきゅうばしすじ)に方向を変えてみましょう。あまり聞き慣れない筋なんだけど・・・と思われる方も多いと思いますが北は中之島の大阪中央公会堂赤ら始まり、土佐堀川を栴檀木橋(せんだんのきばし)で渡ると、船場を中央に貫いて、長堀通の三休橋交差点に至ります。
三休橋交差点以北は歩道もある比較的幅の広い道となっている。また、船場の中央の筋ということもあって企業の本社ビルも多いところです。この地域では現在電線の地中化と、街灯のガス灯化が進められています。
このなかで見逃せないのがルネサンス風の歴史的建造物、綿業会館です、清水組(現在の清水建設)が施行し、設計者には私の好きな村野藤吾さんのお名前も連ねていますが、戦前の大阪界を代表する渡辺節氏の最高傑作といっても過言ではありません。
このビルは東洋紡績専務取締役の岡常夫氏の遺族から贈られた100万円と関係業界からの寄付50万円、合わせて150万円(現在の75億円に相当)を基に、1931年2月日本綿業倶楽部の施設として建設されました。
(この年は昭和6年。柳条湖事件(満州事変勃発)が起こるなど、日本がすこしずつ戦争への道を歩みだした時代です。)
近代の日本を代表する施設として国際会議の場として数多く利用され、翌年3月には リットン卿を団長とする国際連盟日華紛争調査委員会メンバー(リットン調査団)が来館するなど、戦前の日本外交の舞台にもなった場所です。
1945年3月、大阪大空襲で船場のオフィス街は壊滅的な被害を受けました。
しかし、この建物は各部屋の窓にワイヤー入り耐火ガラスを使用していたために、窓ガラス1枚とカーテン1枚に被害を受けただけで殆ど無傷であったそうです。そのため同年7月、大阪師団管区司令部はこれを徴用となし、倶楽部は休館のやむなきにいたって寺田ビルを事務所とした。日本敗戦後占領軍はこれを全館接収し、1952年に返還するまで使用した。返還により再び倶楽部となり、1962年には東隣に新館が増築されました。
外観はアメリカのオフィスビル風でさりげないが、クラブ建築らしく内部は充実しており、部屋ごとに異なるスタイルで装飾されています。
ジャコビアン様式(イギリスの初期ルネサンス風)と言われる2階談話室は全室中最も豪華な部屋で、映画やドラマの撮影などにもよく使われています。非財閥の民間の建物でありながら、内外装の細部に至るまでのデザインや最先端の設備の導入がなされるなど、「最高」を求めた造作になっています。
こうやって歩いてみると、日本の建築界に名を残す建築家の最高傑作、代表作がとても狭いエリアに密度濃くまとまっている事がわかります。前回ご案内した御堂筋を中心にした散歩案内と今回ご案内した場所は一日でお散歩できる範囲なので、そうすると街全体が近代建築のミュージアムといってもいいくらいですね。
もちろん、街歩きの中で建築を見学する時は、大勢でおしかけない、敷地内に無断で立ち入ったり、写メをとらないなど、マナーには十分注意して、自分の目でしっかりと大大阪時代の最高傑作を見えくださいね。
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その街の歴史を知ると散策していても楽しいんですね。
私は知識が浅く少ないので
何せ 京都を滋賀県といって それも学生の時
みんなに絶句され よく高校を卒業したと・・・
お寺の擦り減った石段に手をおいて昔の人の想いを考えるも好きです。
[ つゆくさ ]
2011/9/27(火) 午後 9:25
つゆくささま
。ロザリオと同じように時代によって作りも表情も違うんですよね。
こんばんは。
私は神社の狛犬フェチです
温故知新、昔の人はすごいな〜って思う瞬間です(^-^)
[ さかき きこ ]
2011/9/27(火) 午後 10:08
今から、19年前、大阪の友人の職場が、御堂筋に面したビルにあり、出張で訪問し、予定より早く着いたので、地図片手に御堂筋を散策しました。
貴女の記事で、楽しい思い出がよみがえります。
最近のコンピュータの仕事でも、新大阪駅近くのビジネスホテルに10間連泊して仕事したこともあり、私にとって大阪は特別の街です。
私の生活に大きな変化があり、旅行は、当分無理な状況ですが、貴女の記事で旅行した気分を満喫したいと思っております。
これからも、宜しくです。
[ sharu24jp ]
2011/9/27(火) 午後 11:36
sharu24jpさま
大大阪時代のお話は、大阪へ出張時に「あっ、そう言えば」と思い出して下されば幸甚です。
理想は池波正太郎氏の様に 散歩+美味しいもの+江戸時代の町並 みたいにお届けできればいいのですが…なかなか(^_^;)
[ さかき きこ ]
2011/9/28(水) 午後 2:01
今度大阪へ行く時には「さかき さこさん」の記事をプリントアウトしてマーカーで線引きして持ち歩く様にします。(まるで田舎者ですね!)もっとも、そうに違いはないのですが・・^^
美味しいものとたらふく味わいのんびりと散策したいものですね〜
[ goodじいさん ]
2011/9/28(水) 午後 5:44
ガイドブックよりこちらのほうが参考になります。
あの大空襲でも耐え抜いた建物もあるんですね。
今までご紹介いただいたもの含めて、
一通り見るのに、丸一日あれば大丈夫でしょうか?
[ リンドウ ]
2011/9/28(水) 午後 9:16
goodじいいさんさま
こんばんは。うれしいコメントをありがとうございます。
こうやって煽ててくださって、「豚もおだてりゃ木に登る」状態で、
次々ブログを掲載している状態です。
今後ともよろしくお願いします。
[ さかき きこ ]
2011/9/28(水) 午後 9:43
KAZUさま
こんばんは。ありがとうございます。
十分、一日でまわれます。本当はレンタサイクルでもあればもっと広範囲にまわれるんですけどね。
来月は中之島のバラ園もきれいですし、12月からは御堂筋と大阪市役所、中之島のライトアップも始まります。夜も違った表情を見せてくれると思います。
[ さかき きこ ]
2011/9/28(水) 午後 9:45