|
山岳信仰の山 淡路富士の 千光寺を後にして
少し遅いお昼を食べに 洲本市内に移動。
本当は、福良の漁港にある、ご紹介をいただいたお店に行きたかったのですが
お昼も予約要!既に13時もすぎ、予約の電話をいれると「売り切れ」とのこと。
洲本では、地元の昔からある長屋をリノベートしたイタリアンのお店に!
美味しいものお察知する感で 選んだお店。今回も (^o^)/
さて、次の探訪地は、もちろん古事記ゆかりの場所。
伊弉諾神宮(いざなぎ)です。
そして、これが歴史ファンを喜ばせる、地図の一つ。
伊弉諾神宮は、奈良の飛鳥となっていますが、
三輪大社の麓、箸墓古墳と伊勢神宮の直線上に
夏至の時期の日の出、日の入りの直線上には 出雲大社があります。
色々な意味で古代ロマンを感じる場所です。
古事記・日本書紀には、国生みに始まるすべての神功を果たされた伊弉諾大神が、
御子神なる天照大御神に国家統治の大業を委譲され、
最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に
「幽宮」を構へて余生を過ごされたと記されたいます。
その御住居跡に御陵が営まれ、 至貴の聖地として最古の神社が創始されたのが、
當神宮の起源。地元では「いっくさん」と別称され
日少宮・淡路島神・多賀明神・津名明神と崇められています。
これ以上の説明は無粋になりますね。
神社のHPなどにも記されていますので、ご興味のある方は
そちらものぞいてみてください。
さて、入り口です。
先ほどまで探訪した場所とは違いここは次々と観光バスが到着。
その団体観光客の合間をぬって いざ!
あれ?この感じ???。
一緒に行った家族とも顔を見合わせて...
「出雲大社に似ているね。」と・・・.
そう、気の感じは、まさに出雲大社!と同じ感じなのです。
強風が吹く中、観光バスの団体さんが いなくなった時を見計らって「ぱちり」
この先は神様とのご対面です。
うん、ちゃんと、無事にここに参拝できたお礼も含め
お参りをさせていただきました。
本殿の周りをぐるっとまわり,ここでも「御みくじ」を引く私。
ここの御みくじは 明治神宮と同じタイプの御みくじでした。
裏面はちゃんと英文で書かれています。
御みくじをいただいたときに あまりにも寒そうにしている巫女さんたちに
「寒いですよね。あのー、巫女の衣装の下には何を・・・。」
と思わず聞いてしまいました。
と、言うのも私が今から20年ほど前に京都の神社で巫女さんをした時には
寒いので「白のvネックセーター」をきていました。
これのお陰で、衣装の下に バスタオルをまく事なく・・・。
(着物の時に、当時やせすぎていた私は バスタオルを3枚まくのが通常でした。)
寒さで、カイロを手にされていましたが、流石に
この私の質問には苦笑されていました。
そういえば、昔は斉宮(神殿の巫女)も27歳ぐらいまでには引退
10歳頃から 神殿にあがるのですから、引退も早いわけです。
これ、吉原の花魁も同じなんですよね〜
と、話が随分それてしまいましたが、
この神社の住所は淡路市多賀。
滋賀県に多賀大社がありますがこちらも 伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)、
伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)が御神祭
初めて夫婦の道を始められ、我国の国土、
続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々を
お産みになられました。このように、命の親神様であることから、
古くから延命長寿、縁結び、厄除けの霊神として信仰を集め、
鎌倉から江戸時代にかけては、武家や民衆の信仰が一気に広まりました。
例えば、甲斐の武田信玄は25歳の厄年に際し、
黄金2枚を寄進して厄除けを祈願しておりますし、
太閤秀吉は母大政所の病気に際して
「命の議、三カ年、ならずんば二年、げにげにならずんば三十日にても」
と祈願文を寄せ、米一万石を寄進しております。
幸いに大政所は治癒され、その一万石で正面の太閤橋や奥書院庭園が築造されました。
このような逸話のある多賀大社の多賀という地名を住所にしている
伊弉諾神宮。もちろん多賀大社の住所は多賀町多賀です。 松本清張氏が、古来からの地名の謎を解きながら
邪馬台国の畿内説を語っていらっしゃいましたが
この二つの神社の地名が単なる偶然の一致とは思えませんでした。
そう思いながら、車にのって
再度、淡路島の地図を見ると・・・,「!!?」と
思う地名が沢山!
これはおいおい、ご説明をして行きたいと思います(^_^)
|

>
- Yahoo!サービス
>
- Yahoo!ブログ
>
- 練習用




