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土地の一部を囲い、「ここは私の土地である」と宣言することを思いつき、人々が単純にも彼の主張を信じることを発見した最初の人間が、本物の市民社会の創始者である。もし誰かが杭をひきぬき、溝を埋めて、仲間に「このペテン師のいうことに耳を貸すな」と呼びかけたなら、人間はどんなに多くの犯罪や戦争、殺人、そして苦痛や恐怖を避けることができたことだろう。「もし地球に実る果実はみんなのものであることを忘れ、地球は誰のものでもないことを忘れてしまうなら、われわれはどうしたらよいかわからなくなってしまうのだ!」
ジャン=ジャック・ルソー『人間不平等起源論』一七五五年 人間に荒涼たる石ころだらけの原野の確実な所有権を与えれば、彼はそこを庭園に変えるだろう。ところが、人間に庭園の九年間の貸借権を与えたなら、彼はそこを砂漠にしてしまうだろう・・・所有することの魔法によって、砂が砂金に換わるのである。 アーサー・ヤング『フランス紀行』一七八七年 (注:本書にある注釈は省略) (hidaruma) 第12章の前書きで紹介されているルソーとヤングの言葉は、「所有」という「概念」に対する評価の対立を明確に示すものである。 すなわち、ルソーは「所有」という「概念」こそ、社会における災厄の根源であり、全ての災厄の解決方法は「私有財産の否定」であると主張する。 それに対し、ヤングは、「所有」こそ人の労働や工夫、といった人の持つ能力をより積極的に引き出す機能を有する「概念」であり、「所有」が無ければ人は何も生み出さないどころか、社会に害を為すと説く。 果たして、どちらの主張がより正しく人間を捉えているのか。あるいは、どちらの主張も正しく人間の本性を捉えてはいないのだろうか。 |

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