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『黒海沿岸に栄えた謎のユダヤ王国ハザールとは?』
※出典:「ユダヤ大事典 荒地出版社」
◎「ハスダイの手紙」
後ウマイヤ朝のユダヤ社会の指導者であった
ハスダイ・イブン・シャプルートは
ペルシャの大使から驚くべきことを聞かされた。
黒海からカスピ海にかけて
ユダヤの王国があるというのである。
まさかと思ったが、
その話はビザンチンの使節から聞かされた。
ハスダイは何とか
この王国と連絡しようと思い立ち、
ヘブライ語で手紙を書いた。
ひょっとすると、
イスラエルの十二支族の末裔かもしれない。
手紙は難儀してやっとのことで、
ハザール王のヨーセフのもとに届いた。
ハスダイが手紙を送ってから何年も経った
955年、 ヨーセフ王から返事が届いた。
650年に成立したハザールはもともと、
トルコ系の国であったこと、
宗教的混乱があったので
740年にユダヤ教に改宗して
ユダヤ王国になったこと、
シナゴーグや
ミドラーシュ(ユダヤ教学校)はあるが、
住民にキリスト教徒やイスラム教徒もいること、
よってイスラエルの十二支族とかに
関係がないことを知った。
それから間もなくして、
1016年、ハザール王国は滅んだ。
ハザール王国のユダヤ教の住民は
ロシアがウクライナ、東ヨーロッパに移住し、
アシュケナージ (ヨーロッパ系ユダヤ教徒)の
基礎となった。
ヨーロッパで有名だった
ユダヤ人の鷲鼻も、
本来は十二支族とは関係のないものである。
◎「亡国ハザールが たどった歴史」
ハザールについては
イスラムの地理学者も記述していて、
イブン・アル・ファキーフ も
930年頃に書いた著者の中で
「ハザールは皆ユダヤ教徒だ。
だが、
彼らは近年になってユダヤ教に改宗した」
と書いている。
ハザールはしかし、
ユダヤの歴史では扱われることは
決して多くはない。
生っ粋のユダヤ王国でなかったかもしれないが、
謎の多いことも関係しているのだろう。
このハザールについては
英語やフランス語などでは
専門書が刊行されている。
ちなみに、
ハザール関係の代表的なサイトである
現在入手可能なハザール関係の研究書を
知ることをができるだけなく 、
トルコ語やロシア語の資料も
インターネットで閲覧できる。
また、
ハスダイの手紙を英語で読むこともできるので、
価値は高い。
ハザールは
元々トルコ系遊牧民で
オグル・トルコ語を話していた。
テングリのシャーマニズムを信仰していたが、
後にユダヤ教、イスラム教、キリスト教を
採用し、
言語もヘブライ語やスラブ語を話すようになった。
カスピ海はハザール海とよばれた
(現在でもトルコ語やアラビア語では
同様の表現をする)。
ハザールの首都は始め
バランジャールに置かれていたが、
720年代サマンダルに移った。
彼らは
コーカサスからウクライナに勢力を伸ばし、
キエフはハザールのつくった町である。
農業や漁業に力を入れる一方、
アジアやヨーロッパとの交易を確立した。
ハザールで日常話されていた言語は
トルコ系のチュウヴァシュ語や
ブルガル語に近く
ヘブライ・アラーム文字で書かれた 。
10世紀頃のハザールのユダヤ教は
35,000人ほどだったと考えられている。
ハザールはロシアに征服されると、
ハンガリー、ルーマニア、ポーランドに
移住し当時のユダヤ社会と
混血したというものである。
ハザールの名前を歴史に残したのは
スペインのユダヤ社会であった 。
1161年、トレードの
アブラハム・イブン・ダーウードは
『伝承の書』の中でハザールを書いた。
ハザールのを登場させたこの作品は、
ユダヤ・アラビア語
(ヘブライ文字を使ったアラビア語)
で書かれた。
※ハザールとユダヤ
※出典 「世界史小辞典 山川出版社」
◎ハザール王国
7世紀〜10世紀にトルコ系の遊牧民
ハザールがヴォルガ川河口のイティルを
本拠として作った国。
その力はカフカースにも広がった。
ビザンツ帝国で強制改宗を迫られた
ユダヤ教徒がこの国に逃れた結果、
9世紀になるとユダヤ教への改宗が進んだ。
しかし、
この国には宗教的な寛容が存在した。
ハザール商人の活動は広く拡大した。
※出典
ATLAS OF JEWISH HISTORY:
ユダヤ人の歴史地図
Martin Gilbert Cartography by Arthur Banks
◎ハザール・ユダヤ人王国:
紀元700年〜1016年
ハザールは
中央アジアの異教徒の遊牧民であった。
紀元700年頃に
王ブーランがユダヤ教に改宗した。
後に王位に着いたオバディアンが
ユダヤ教を強化し、
ラビを招聘すると共にシナゴーグを建設した。
また最高裁判所は
七人の判事で構成されていたが、
その内訳は、
ユダヤ教徒2名、
キリスト教徒2名、
イスラム教徒2名、それに、
異教徒1名であった。
王国が存続した300年間、
信教の自由は維持されていた。
The Khazars were a heathen, nomad people from central Asia. In about 700AD their king, Bulan, was converted to Judaism. A later king, obadiah, greatly strengthened Judaism, inviting rabbis into his kingdom and building synagogues.
The supreme court consisted of seven judges;
2 Christians, 2 Muslims and a Heathen. Religious toleration was maintained for the kingdom’s 300 years
970年、
ロシア人がハザールを攻撃し始め、
クリミアへ追った。
1016年、
ロシアとビザンティン帝国の連合遠征隊が
ハザール王国を滅ぼした。
ハザールのユリア人は
ロシア、ビザンチン帝国及び
地中海沿岸の港市へ散った。
In 970 the Russians began attacking the
Khazars and drove them into the Crimea.
In 1016 a joint Russian-Byzaantine
expeditions finally destroyed the Khazar kingdoms.
The Khazar Jew dispearsed into Russia,
Byzantium and the Mediterrnean port
M.K記(責)
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