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『ハザール 謎の帝国』
S・Aプリェートニェヴァ著
『ハザール 謎の帝国』(新潮社)
城田俊 訳
〜 訳者まえがき 〜
この本の「訳者まえがき」の文章が、
ハザール王国について的確に表現されて
いるので抜粋しておきます。参考までに。
ちなみに、訳者の城田俊氏は、
モスクワ大学大学院終了の
ロシア語教授です。
■訳者まえがき
「ハザールの首都発見」のニュースが
日本中を駆け巡ったのは
訳者が本書を訳しかけていた
1992年8月のことである。
「カスピ海の小島に防壁と古墳」
(毎日新聞)
「ユダヤ帝国ハザール幻の首都?
─ ロシアの学者・日本の写真家ら発見」
(朝日新聞)
「東欧ユダヤのルーツ解明に光」
(読売新聞)──
これらが
大新聞の紙面を飾った見出しであるが、
謎の国ハザールについての
日本最初の大々的新聞報道を
胸躍らせて読んだ人は
あまり多くはなかったのではなかろうか。
それほどハザールは日本ではなじみがない。
ハザールは
6世紀ヨーロッパの東部に
突如出現した騎馬民族である。
出自は定かではないが、
民族集団として
注目を受けるようになって以来
アルタイ系騎馬民族の諸相を色濃く持つ。
トルコ系言語を話し、
謎めいた突厥文字を使用する。
彼らは近隣の民族を圧倒し、
7世紀中頃王国を築き、
カスピ海沿岸草原、
クリミア半島に覇を唱えるが、
キリスト教のビザンチン帝国と
イスラム教のアラブ帝国の狭間に立って
ユダヤ教を受容して国教とするという
史上稀有に近い行動をとる。
王国の底辺を支えた民の人種は
雑多と想像されるが、
国家建設の中核となったのは、
170年余にわたって万里の長城の内外で
中国と激烈な死闘を演じ、
遂に唐の粘り強くかつ好智にたけた
軍事・外交の前に敗れ去り、
新天地を求めて西へ走った
突厥の王家、
阿史那(あしな)氏の一枝であったことも
また興味を引くところである。
まさに東西交流の要所にあって、
両者を強く結びつける
役をはたした民族であり、国家であった。
マホメットの死後まもなく
アラブ勢力は急速に強大化し、
近辺諸国をかたっぱしから征服し始める。
北に向かった大軍勢は
コーカサスヘと突入するが、
それに立ちはだかったのは
雪を頂く峨峨たる山脈だけではない。
要所要所を固めていた
ハザールの組織的軍隊であった。
防衛軍は伝統的騎馬戦闘術
(例えば馬車による円陣)までも
繰り出して、果敢な抵抗を行い、
侵入軍を幾度も南へと撃退する。
もし、
アラブ軍がコーカサスを通り抜ければ
東ヨーロッパは勿論、
中央ヨーロッパヘの道は
広々と開かれていた筈である。
ロシアもポーランドもハンガリア、
はては、
チェコもイスラム化したかもしれない。
ハザールは
アラブとの戦役を
1世紀あまりにわたり闘い抜き、
イスラム勢力の東方からの
ヨーロッパ侵入をくいとめ、
現在あるかたちでの
キリスト教世界を守ったのである。
それは、
カール・マルテル指揮下の
フランク王国騎兵軍が
ピレネーを越えて進撃してきた
アラブ軍をトゥール・ポワティエ間の戦で
撃退したのに比肩される
歴史的大功績であると言う
キリスト教世界の学者もいる。
しかし、
一方は歴史の教科書に大書され、
ヨーロッパ人には常識となるに対し、
ハザールの「功績」は忘れられ、
無視されてきたのは、そ
のルーツが
我々と同じアジア人であったためであろうか。
それとも
国教がユダヤ教であったためであろうか。
ユダヤ人はローマ帝国により国家を奪われ、
国無しの民として世界に離散流浪し、
迫害に晒されるが、
中世に至って、
ハザールというユダヤ教国が
東方の遥かかなたの草原の
どこかにあるという噂を耳にし、
驚喜し、鼓舞され、ハザール国探索活動を
展開する。
最も熱心かつ精力的であったのは、
10世紀中葉スペインの
コルドヴァ王国の外交・通商・財政の
大臣の地位にあった
ユダヤ人
ハスダイ・イブン・シャプルトであった。
彼は、
恐らく世界各地に張り巡らされていたであろう
ユダヤ商人の情報・連絡網を頼りに、
遂にハザール国王に手紙を届け、
返書を受け取ることに成功する。
2人の往復書簡は千余年の時の破壊力に耐え、
現在に伝えられ、学者によって解読される。
また、
前世紀末には
カイロのユダヤ教会堂の文書秘蔵室から
大量の古文書が出てくるが、
その中にハスダイの探索活動や
ハザールのユダヤ教市民の救済活動に関する
文書が発見され、
ハザール国の内情がより
細密に描けるようになる。
これだけでも伝奇に満ちた
一篇の物語となるが、
ハザール史そのものは
現在に生きる我々に興味尽きない問題と謎を
投げかける。
中東和平を契機に
世界各地でユダヤ人問題への
関心が高まっている。
政治や国際関係に関心がない人でも、
学芸分野や政界・経済界での
ユダヤ人天才・実力者の活躍には
目を見張らざるを得ない。
このように世界で耳目を集める
ユダヤ人の大部分は、
モーセなど『旧約聖書』に登場する
ユダヤ人とは全く関係なく、
10世紀末ルシ(ロシア)に滅ぼされた後、
東欧に離散した
ハザールの末裔であるという
説が広まっている。
もしこれが本当なら、
血で血を洗う戦争を繰り返し、
今も流血の惨事を日常的にひきおこす
原因となったイスラエルの建国とは
一体何だったのか、
ということになりかねない。
そのような説が正しいかどうか、
曲がりなりにも判断するためには
ハザール史のある程度正しい知識が
我々に今必要となろう。
ハザールが東アジアの島国に住む
我々日本人にとり
なぜ面白いかは、
日本の建国に関し騎馬民族説が
声高に唱えられるというだけではない。
ハザールでは
二重王権が実践されていたということが
1つの理由となるのではなかろうか。
〈後略〉
1996年1月 城田 俊
《ハザール謎の帝国:年表》
≪ハザール≫
370 フン族、
ドン河流域にてアラン族を撃破する
371 フン族、黒海沿岸北部を占領する
≪日本・その他≫
371 民族大移動、始まる
399 封顕がインド旅行に出発する(〜412)
478 倭王武、宋に遣使し、
安東将軍に任ぜられる
≪ハザール≫
488 ササン朝のカワード一世、
即位する(在位〜531)
≪日本・その他≫
500頃 エフタル族が西北インドに侵攻する
≪ハザール≫
515 フン・サヴィル族、
アルメニアに侵入する(〜516)
≪日本・その他≫
531 ササン朝のホスロー一世、
即位する(在位〜579)
538 百済より仏教、伝わる(異説あり)
≪ハザール≫
540 サヴィル族、
裏コーカサスに侵入する突厥、
柔然を滅ぼす。
突厥の建国。
サヴィル・ハザール族、
アルバニアに侵入する
555 突厥可汗国、エフタル族と闘い、
滅ぼす(〜567)
562 ホスロー一世、
サヴィル・ハザール族を撃破する
≪日本・その他≫
562 任那の日本符、滅びる
≪ハザール≫
567 ハザール族、ブルガル族、
突厥可汗国に征服される(〜571)
576 ビザンツ帝国と突厥可汗国との戦争、
開始される
581 突厥可汗国において内紛おこる
(〜593)
≪日本・その他≫
581 北周滅び、隋の建国(〜618)
≪ハザール≫
582 ビザンツ皇帝マウリキウス、
即位する(在位〜602)
≪日本・その他≫
583 突厥、東西に分裂する
587 蘇我馬子、物部守屋を殺す
589 隋の中国統一
593 聖徳太子の摂政(〜622)
600 倭国の遣隋使
604 十七条憲法を制定
608 隋使・裴世清、来朝する
≪ハザール≫
610 ビザンツ皇帝ヘラクレイオス、
即位する(在位〜641)
≪日本・その他≫
617 西突厥可汗国で統葉護可汗、
即位する(在位〜628)
618 唐の建国
621 新羅が初めて朝貢する
622 聖徳太子死す。
≪ハザール≫
626 ヘラクレイオス帝と突厥可汗、
同盟を結ぶ。
突厥・ハザール軍、
裏コーカサスに侵入する
627 突厥軍・ビザンツ軍、
トビリシを包囲する
≪日本・その他≫
627 玄奘三蔵、インド旅行へ出発
[一般には629年出発]
≪ハザール≫
628 トビリシ、占領され、
アルバニア、征服される
≪日本・その他≫
628 玄奘、クンドゥズの咀度設を訪問。
咀度設若妻と子に毒殺される。
統葉護可汗、莫賀咄に殺害される。
≪ハザール≫
630 突厥可汗国において内紛おこる
(〜634)
≪日本・その他≫
630 東突厥、滅亡する。
遣唐使の初め
642 蘇我入鹿の専権
645 蘇我氏滅ぶ。
大化改新(乙巳の変)
≪ハザール≫
650頃 ハザール可汗国の建国
≪日本・その他≫
651 アラブ軍、ホラサーンを征圧
(〜653)
唐朝にアラブの使者到る
652 班田収授の法を実施する
≪ハザール≫
652 裏コーカサス諸国に
アラブ(サラセン)帝国支配を
確立する
653 アラブ軍のハザール国
第1回遠征(〜654)
サラセン、撃破される
655 クリミアの一部、
ハザール軍に占領される
657 西、滅亡する(〜659)
660頃 アスパル汗、
部民を引き連れドナウに移動する
≪日本・その他≫
661 ウマイヤ朝の成立(〜750)
662 唐の勢力圏最大となる
663 白村江の戦い
672 壬申の乱
675 新羅、百済を併合
676 唐、朝鮮半島を放棄。
新羅の統一時代始まる
682 突厥第二可汗国、成立する
≪ハザール≫
682 イスライル主教の使節団、
アルバニアから
サヴィル族のもとに赴く
684 ハザール軍、
裏コーカサスに襲来する
≪日本・その他≫
694 藤原京に遷都
≪ハザール≫
695 ビザンツ皇帝
ユスティニアヌス二世、
退位させられ、
ケルソネスに流される
≪日本・その他≫
698 靺鞨人大祚栄、
震国(渤海)を建てる
701 大宝律令なる
705 ウマイヤ朝の
クタイバ・イブン・ムスリム、
中央アジアに遠征する(〜715)
≪ハザール≫
705 ユスティニアヌス二世、
ふたたび即位する(在位〜711)
≪日本・その他≫
708 和同開珎を鋳る
710 平城京に遷都
≪ハザール≫
711 ユスティニアヌス二世、
処刑される
ハザール軍、
裏コーカサスを蹂躙する
≪日本・その他≫
712 『古事記』なる。
玄宗即位(〜756)
≪ハザール≫
713 マスラム率いるアラブ軍、
デルベントを占領し、
ハザール国深く侵入する
≪日本・その他≫
716 突厥のビルゲ可汗、即位する。
阿倍仲麻呂ら唐に赴く
717 コンスタンティノーブル、
アラブ軍に包囲される(〜718)
≪ハザール≫
717 ビザンツ皇帝レオン三世即位
(在位〜741)
≪日本・その他≫
720 『日本書紀』なる
≪ハザール≫
721 ジェラーフ率いるアラブ軍、
ハザール国に遠征し、
ベレンジェルを攻略する
723 ジェラーフ、
アラン族遠征に向う(〜724)
≪日本・その他≫
724 ヒシャーム、
カリフとなる(〜743)
727 渤海の使者、初めて来日
≪ハザール≫
730 ブラン可汗、ユダヤ教を受容する。
ハザール軍アルバニアに侵入し、
アルデビールを攻略し、
ジェラーフ率いる
アラブ軍を撃破する(〜731)
732 後のコンスタンティノス五世
(当時皇太子)、
可汗の妹チチヤクと結婚する。
チチヤク、洗礼を受けて
イレーネの名を貰う。
マルワーン、デルベントと
ベレジェルに遠征する
(いわゆる「泥滓の中の」遠征)
735 マルワーン、ハザール国に遠征する
ハザール軍、撃滅される
740 ビザンツ皇帝
コンスタンティノス五世、即位する
(在位〜775)
≪日本・その他≫
745 ウイグル、突厥を滅ぼす
751 タラス河畔の戦い
752 奈良大仏開眼
755 安史の乱おこる(〜763)
この頃『万葉集』なる
≪ハザール≫
786 ハールーン・アル・ラシード、
カリフに即位する(在位〜809)
787 クリミアにおいて
ゴート大主教区の主教ヨアン、
反乱をおこす(〜791)
≪日本・その他≫
788 最澄、延暦寺創建
794 平安京に遷都
≪ハザール≫
799 オバディア可汗、
国政改革に乗り出す(〜809)
ユダヤ教を公的に受容する
≪日本・その他≫
804 最澄、空海、唐に赴く
805 最澄帰朝し、天台宗を始める
806 空海帰朝し、真言宗を始める
≪ハザール≫
810 可汗国においてカバル人、
反乱を起こす(〜820)
≪日本・その他≫
816 検非違使をおく
822 最澄死す
≪ハザール≫
822 ハンガリア族、
黒海沿岸地帯に侵入する
(〜836)
829 ビザンツ皇帝テオフィロス一世
即位する(在位〜842)
834 サンケルの建設
≪日本・その他≫
835 空海死す
849 唐の商人、大宰府に来る
≪ハザール≫
860 コンスタンティノス(キュリロス)、
ハザール国を訪問する(〜862)
≪日本・その他≫
874 サーマーン朝、
マー・ワラ―・アンナフル
全域を支配する
≪ハザール≫
883 ドレヴリャネ族、セヴェリャネ族、
ディミチ族、
ルシの配下に入る(〜885)
≪日本・その他≫
887 藤原基経関白となる
≪ハザール≫
890 アルバード、候に叙せられる
894 ハンガリア族、ドナウに遠征する
≪日本・その他≫
894 遣唐使を廃止する
≪ハザール≫
895 ハンガリア族、
ぺチェニェグ族に撃滅され、
アテルクズに退く
≪日本・その他≫
903 菅原道真死す
905 『古今和歌集』なる
≪ハザール≫
905 ルシ族、
カスピ海のアベスグン島を占領
912 後ウマイヤ朝のカリフ、
アブド・アッラフマーン三世即位
(在位〜961)
913 ぺチェニェグ族・グズ族・
アシ(アラン)族、
ハザール族を攻撃する。
ルシ族カスピ海沿岸に遠征する
915 ルシの地に初めてぺチェニェグ族、
姿を現し、
イーゴリ候と和約を結ぶ
922 イブン・ファドラーン、
ヴォルガ河地方を旅行する
932 ハザール・アラン戦役
≪日本・その他≫
936 高麗王王建、新羅・後百済を破り、
朝鮮を統一する
≪ハザール≫
943 ルシ族、ベルダ(アルバニアの町)に
遠征する(〜944)
954 ハスダイ・イブン・シャブルトと
ヨセフ可汗の書簡交換開始される
(〜961)
≪日本・その他≫
960 宋興る(北宋〜1126)
≪ハザール≫
965 スヴャトスラフ・イーゴリェヴィチ、
ハザール族に兵を進め、
イティルとサルケルを占領する
966 ルシ、ヴャティチ族を支配下におく
≪日本・その他≫
972 高麗の使いが対馬に来る
≪ハザール≫
977 ホレズムにより、
イティル征服される。
ハザール人、イスラム教に改宗する
≪日本・その他≫
980 宋との交易始まる
≪ハザール≫
980 ウラディミル・スヴャトスラヴィチ候、
ヴャティチ族に兵を進める
(〜982)
985 ウラディミル候、
ヴォルガ・ブルガル国及び
ハザール国に遠征する
≪日本・その他≫
996 藤原道長、左大臣となる
999 サーマーン朝、滅亡する
1017 藤原道長、太政大臣になる
1026 セルジュークのトルコ族、
ブハラ付近
から東イラン地方へと移動する。
1038 セルジューク朝、成立する
(〜1194)
西夏、建国される
1055 セルジューク朝軍、
バグダートヘ入城する
1069 王安石の改革始まる
≪ハザール≫
1079 トムトロカニの
オレグ・スヴャトスラヴィチ候、
ハザール人に捕えられ、
ビザンツ帝国に護送される
1083 オレグ、トムトロカニに帰還し、
ハザール人に報復する
≪日本・その他≫
1086 院政始まる
【注記】
≪ハザール≫の項目は原著にある年表
≪日本・その他≫の項目は
日本関係その他を訳者が補ったもの
M.K記
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