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昭和5年3月22日
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昭和00年代
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「月ヶ瀬ニテ クモリ 5、3、18 午」 04959
[グズグズさん情報] 2代目の月瀬橋(つきがせばし)です。 [ 小金井橋さん情報 ] 関西本線笠置付近の車窓風景ですね。右に木津川が沿っていますので、下り奈良、湊町(現・JR難波)方面行きの列車です。奥に牽引機の煙が見えます。客車は撮影時期からみて木造のナハ22000系という大正時代後期の標準型だと思います。 |
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撮影年不明(昭和4年ころと思われる) 04955 「小金井橋さんからの情報」
松坂屋屋上より大津通りを北にのぞむ。中央奥に名古屋城が見える(昭和初期)。 写真左下、電車通りの向かい側に見える縦書きの看板は、Network2010 の写真で見ると「大阪毎日新聞」となっています。正面奥に見える二つの尖塔のうち、背の低い右側の尖塔は明治43年(1910)に建設された栄町の「いとう呉服店」の3階建てのビルで、松坂屋の元祖です。大津通りに近代的な現・松坂屋が開店したあと閉店しました。現在「名鉄メルサ」が建っている場所です。 |
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昭和4年9月14日 04946 車のフロントグリルに「帝國大學」と書かれたプレートがあり、ナンバープレートが見当たりません。 京都大学のようです。時間から見るとディラック博士が講演を終えて帰るところでしょうか。 [グズグズさん情報]
建物は現在も写真とほぼ同じ姿で使われています。今は保健管理センター/学生部の建物というそうです。昔は石油化学教室本館と言ったそうで、朝永振一郎、湯川秀樹、福井謙一も学んだ所で別名「ノーベルの館」とも呼ばれるそうです。 [ポンコツさん車情報] 車の方は、昭和4年式(1929)ビュイック・マスター・シックス・スポート・フェートンです。 ヤナセが輸入したアメリカ製ですが、右ハンドルになっています。 アメリカでは自動車草創期からしばらくの間、左ハンドルと右ハンドルのメーカーが混在していて、特に高級車では遅くまで右ハンドルが好まれていました。 1929年には、すでに左ハンドルが絶対多数でしたが、このビュイックでは、注文時に指定すれば右ハンドル仕様を購入できました。 昭和の時代は煙突がたくさんありましたね、大学にかぎらず一般の町並みでも。 [グズグズさん情報] この建物は今も京都大学のシンボルの時計台として現存しています。今は「百周年時計台記念館」という名前になっています。当時としては珍しい電気時計で1年間で1秒しか狂わなかったそうです。 [お茶のまず博士情報] 1枚目の写真と5枚目の写真は、まさしく、同じ建物で、「數物教室」とは昭和4年当時には数学と物理教室が入っていたのでしょう。 ひょっとしてアルノルト・ゾンマーフェルト先生でしょうか? [お茶のまず博士情報]Dr.ゾンマーフェルトはDr.ハイゼンベルクの師に当たります。Dr.ハイゼンベルクは1932年に/Dr.ディラックは1933年にノーベル賞を得ています。Dr.ディラックは「有名になる」のが苦手で、受賞を断ろうとしたとき、師のラザフォードが『断ったら、受けた時より一層「有名に」なるから受けなさい』と説得したそうです。 ひょっとしてヴェルナー・ハイゼンベルク先生でしょうか? ひょっとしてポール・ディラック博士でしょうか? |
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昭和5年 04829 オールズモビルに写っているお母さんの結婚前でしょうか、振り袖のようです。 やはりパーマをかけているのでしょうね。
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