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「昭和十六年二月二日 岡崎公會堂ニテ 」 05075 [ グズグズ ]さんご提供情報
写真に写る岡崎公会堂は今も現存します。平安神宮の南側、京都会館の東隣りに現在は京都市美術館別館として平成12年に奇麗に改装されて利用されています。元々は昭和5年に二代目京都市公会堂東館として建てられ、昭和9年に室戸台風で本館が倒壊したのちは岡崎公会堂(通称名)として使われたようです。 |
昭和10年代
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「昭和十六年八月七日 保津峡行」 保津川にも納涼床みたいなものがあるんですね。
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昭和十六年二月二十三日 知多半嶋 内海ニテ 05072 写真の裏書きには内海(うつみ) にてとあります、河口のような場所ですね。戦後も昭和30年代まであちこちにこのような風景が見られましたよ。 [やっさん]さんのご指摘により「内海」は「うつみ」という地名と判明いたしました。
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[ 小金井橋さんご提供情報 ]
日光地区の輸送を担っていた「日光自動車」のバスです。車体は昭和12年頃の製造、戦時体制に入り、代燃化改造(木炭車への改造)を受けています。写真のバスは山上の中禅寺湖地区に配置されていたもので、日光軌道(国鉄/東武日光駅―馬返)と日光ケーブル(馬返―明智平)からの観光客を中禅寺湖畔、奥日光方面へ輸送していました。塗色は銀色/青帯です。日光自動車と日光軌道は東武系で、両社は合併のあと戦後の昭和22年に親会社の東武に併合されました。高地にある中善寺湖畔へのバスの搬入をどのように行っていたのかは判りませんが、馬力のない木炭車で「いろは坂」を登攀するのは無理があったと思います。あるいは比較的平坦な渋川・奥日光方面から搬入したのかも知れません。 [ toi*in4*さんご提供ガス炉情報 ] 手前のバス車体の後部に搭載されたガス発生装置の向かって右が空気取入管(口)、その左がガス発生炉、更にその左の白っぽい円筒はタール層(タール抜)です。これ等の形状から判断すると、東京自動車工業(株)製の陸式薪ガス発生装置と思われます。 薪は家庭燃料用の薪等の他、廃電柱材、廃鉄道枕木等も使用可能では有ったが、タール分や樹脂分の少ない物が望まれ、楢やこの樹種に近い物が推奨された。 発生したガスの主可燃成分は、一酸化炭素、水素等でその発熱量は対ガソリン比で70〜80%で有ったから、登坂時等では変速機は低速を使用する必要が有ります。その為に、エンジンの回転を上げ過ぎるとガスの発生量が、エンジンのガス使用量に追いつかずにエンジンが停止してしまう事になる。 又、ガスの漏洩による一酸化炭素中毒にも注意が必要でも有った。ガスの原料に木炭を使用する物も有り、現在では薪炭使用の物(車両)をも含め木炭車と呼んでいる様ですが、戦前では分けて呼ぶ事も有りました。 明智平駅の撮影年不明の別写真: http://blogs.yahoo.co.jp/dokidoki_puck/53434317.html
昭和12年の馬返駅写真: http://blogs.yahoo.co.jp/dokidoki_puck/29849051.html 昭和28年の馬返駅写真: http://blogs.yahoo.co.jp/dokidoki_puck/52692853.html 大陸での木炭自動車(昭和17年): http://blogs.yahoo.co.jp/dokidoki_puck/43921723.html |







