日本古写真倶楽部

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昭和20年代

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三角乗り 自転車 

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撮影年不明                                 04558

自転車はスタンドで立っているようですが三角乗りで自転車をこごうとしているところではないでしょうか。右から乗る子と左から乗る子といましたね。
三角乗りは関西では「丁稚乗り」とも言うそうです。(以前 記事で関西の方よりコメントいただきました)
乾電池式の警報ブザーがついているようですので少し撮影時期が絞れるかも知れませんね。

港、出航

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「25年度忘年会」        [きーぼー]さんご提供写真   04551

昭和25年12月の撮影でしょうか、きーぼーさんの祖父Yさんがどこかの島へ忘年会に行った帰りのようですね。
写っている家は旅館でしょうか。人々は旅館の人のようですね、揃いの着物には「水光館」と書かれているようです。

紙テープでお別れですね、今は滅多にやらなくなりました。ブログ内「出航」で同じようなシーンが出ますよ。「船舶」ではいろんな船が出ます。

尾道駅

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[きーぼー]さんご提供写真                             04549

昭和24年ころと思われる。 きーぼーさんの祖父にあたるYさんの先輩にあたる方の新婚旅行中の写真だそうです。(Yさんが結婚された当時新婚だったらしい)

Fさんの戦後

前の記事「Fさんの戦前・戦中」の続きです。(きーぼーさんご提供アルバムより)
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「私と妹(卒業後の夏)」 昭和20年の夏でしょうか。
スカート姿のようですので8月15日以降かもしれません。
【Fさんの女学校卒業について】
20年の春で卒業やったけどね、戦時特別専攻科ていうのに入らないかんの。そこにみんな入らんと卒業させてもらわれへんの。だから本当は3月で卒業だけど、20年の8月の15日の終戦でやっと卒業なの。15日すぐ違うよ?
それでもね、上級学校ってゆっとったのあの頃、女学校からもっかい、上の学校。専門学校とか、師範学校とか。そういうとこ入ったら、ちゃんと3月で卒業させてもらえるの。それでおばあちゃんも、明石の師範学校受けて、それで受かったけど、その頃明石は空襲が激しくて、おばあちゃんのお母さんが「そんなとこへはやられん」って言って、結局行かなかったの。

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「TとS 昭和20年8月」二人目の弟も出来ていたんですね。上の弟Sは16年6月、下の弟Tは19年5月生まれだそうです。
【きーぼーさんとFさんの会話】
きーぼー:昭和20年の8月と書いてあったけど。

Fさん:ほな終戦の時じゃん。ガリガリに痩せてもう食べるもの無いから。

きーぼー:終戦の月に写真撮る余裕があったのが不思議だけど。

Fさん:そらあんた大事な男の子が生まれたから・・・、
    誰に撮ってもろたんやろこの写真。これ一応正装してるん違う?
    で、この乳母車ねえ、木で黒塗りでね、どっかにねえ、金のご紋章は無いけど
    何か知らん付いとってもうみんながビックリするような乳母車をお父さんがどっかから
    買って来たんだから(笑)も〜〜ハイカラな乳母車やゆって評判になるような乳母車買って来て。
    その頃は籐で編んだ籠みたいな乳母車で、こんな乳母車持ってる人居なかったよ。
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「昭和21年3月24日就職の年(当時17歳)」昭和21年から23年までFさんは柏原町の幼稚園に勤務します。
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「 私(昭和二十三年度幼稚園修了式の日)」
式典なので袴姿をしているんでしょうね。 


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「 F先生 ○○○○ 於 柏原公会堂 昭和二十一年十一月三日 敬老会 演藝会 シタキリスズメ 」
(アルバムキャプションは22、3) 舌切り雀ですか、当時の定番でしたね。

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イメージ 9「23、2、27 学芸会の帰路」 「23、8、16」
矢張り戦後一番変わったのは女性の髪型でしょうか。はじけたようにみんな派手なパーマをかけるようになりましたね。

イメージ 10「福知山にて23、11、4」
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                             「母(二十二、四)」
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「京都 高雄 職員旅行」裏書「昭和二十二年十一月十六日 於 高尾」国民帽の人がいてもんぺの人も一人見えます。
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「O友先生とT垣先生 宝塚駅前にて」          04516
Fさんは写っていませんが幼稚園の同僚先生ですので昭和22、23年の撮影でしょうか。この粗雑な現像処理と撮影方法は「街頭写真屋(ブログ内検索可)」さんの撮影でしょうね。建物は宝塚駅ですか?
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「職員旅行 城崎海岸にて」Fさん幼稚園勤務時代のようですので昭和22、23年くらいでしょうか。   04517
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「幼稚園退職記念 T垣先生と私 二三、九、二」この写真の右側Fさん部分のみを別プリントして保母受験用写真に使用したようです。        04518


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「青年会館上棟当日 24、2、4」
Fさんは青年団に参加していたようですね。
●自分たちの手で建てた青年会館
まだ氷上の横田に居る頃に、実家のすぐ上に公会堂があってね、その右に青年団の人たちで青年会館をみんなして建てたの。
大工さんもみんな自分でして。
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「上棟式当日 (昼休みのひととき)」戦後に街で若い女性のもんぺ姿を見ることはありませんでしたが作業着でもんぺをしているんでしょうね。地下足袋の女性もいますよ。
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「保母受験記念 二四、三、二十五 淡路のM村先生 篠山の?先生と私」   04522
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「青年会館落成記念 横田支部一同(24、5、6)」 おお!立派な青年会館が出来上がりましたね。
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「 玄関ニテ 24、5、6 」Fさんの家族。昭和24年5月6日。上の青年会館落成記念の写真撮影と同じ日付になっています、どちらが先の撮影だかわかりませんが、こちらではFさんは着物姿ですね。
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【 Fさんの結婚 】昭和24年5月11日 Fさん20歳、5才年上のYさんと結婚しました。
Yさんは大正13年生まれでFさんより5つ年上。家が近所で小さい頃からお互い知っていて、親同士も知り合いでした。小学校は同じ生郷尋常高等小学校。Yさんは県立柏原中学卒業後、昭和17年に神戸高等工業学校(略称神戸高工、現在の神戸大学工学部の前身)に入学。
「地元でも中々入れん、Yさんは頭がええ」「真面目であんな孝行息子はない」と近所でも評判で、卒業後国鉄に勤務していました。お父さんがYさんに惚れこんじゃってお見合いを設定して、お付き合いする事になったそうです。(Fさん談)
この結婚写真の座敷に親戚を集めて結婚式をしたそうです。
床の間の上に神棚があるようです。珍しいのでは?(どきどきは初めて見たような気がします)
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一般住宅での結婚式の様子(Fさんではありません)。昭和30年くらいまで自宅や実家などで挙げる結婚式が多かったようです。今みたいに司会者などはいなくて、年配者の祝賀のお謡いで始まり杯をそろってあげ会食となるのが一般的でしょうか。(ブログ内『結婚式』で検索可)
みんなの料理の中に鯛の姿が見えます、鯛の塩焼きは結婚披露宴の定番料理でしたね。
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(昭和25年)「1月3日 私の家の庭先にて」結婚して最初の正月にFさんの実家に行った時の写真。右端はお母さん、中の二人はいとこでしょうか、親戚が集まったんですね。
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女性たちは晴着なのに弟二人は良い方の普段着ですね、そう当時は男の子の着るものはあと学校の制服しかありませんでした。実家の外回りの様子がよく分かりますね。
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「H幼稚園卒業記念 25、3、20」Fさんは幼稚園免許を持っていたので頼まれてH幼稚園に手伝いに行っていたそうです。(庭が広い普通の家を改造したキリスト教系の幼稚園だった)裏の家の屋根から煙突がはえています、カマドやお風呂の煙突ですね。
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「其後の幼稚園の先生方(保姆室にて) K田 A田 T村 A瀬 M田 各先生」撮影年不明
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「私と妹(二五、四、七)阪急百貨店にて」椅子に阪急百貨店の管理プレートが貼ってあるのが写ってます。
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「だうじょうにて 花見(25、4、8)」道場ですね。ご主人Yさん職場の花見。木に登って撮影したんでしょうか。ござの上には散った花びらが見えます、桜の下のようです。Yさんにお尋ねすれば場所が特定できるかも知れませんね。
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一升瓶の茶碗酒、一人リンゴ1個にみかん2個と小さな折り、昭和10年代の宴会や会合と変わりない様相ですね。もう忘れていましたが当時はこんな風情でした。
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イメージ 30Yさんが独身時代から住み、結婚してからはFさんと二人の新婚生活が始まった寮(本来は独身寮)。
●3畳と4畳半のとこにおったんよ二人で。それでね、タンスなんか何にも無し。置かれへんもん。食器棚無いから蝿帳(はいちょう)置いてたんよ。蝿帳知らん?蝿が入らないようにする網の張ったちっちゃい戸棚。50センチに70センチ角ぐらいのね、高さが1メートル無いような。それ置いてね、そこにお茶碗2つ、箸2つ、お湯飲み2つ、お味噌汁のお椀2つ、それぐらい入れて始まったんよ。
何にもなし!それでお金も無いし、着るものは無いし、食べるものは無いし。本当にもう貧乏な生活してきたんやよ?大変やったんよ。
イメージ 31←「玄関先にて 25、4、25 H間さんにうつして頂く」
イメージ 32                「Y本様」→
寮の前の道のようですね。Fさんのほかにも妻帯者がいるのでしょうか。彼女が腰掛けているのは何でしょう?戦時中の防火用水に土を入れて植物を植えているのでは?
雨上がりで道路がぬかるんでいるように見えます。
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←「I口様」
植栽の枝振りが上の写真と違います、撮影時期が異なるようですね。
イメージ 34                     「物干にて」撮影年不明→
Fさん、ニコニコと幸せな新婚生活のようですね。
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「おお寒いこと (或る日曜日)玄関にて」

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寮の玄関ですね。奥さん方がたくさん住んでいたんですね!住宅事情の悪い時代、狭い独身寮の部屋も世帯持ちの社宅として使われていたようですね。Fさんが入る前、Yさんは同僚と相部屋で住んでいたそうです。
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昭和25年3月 「私の誕生日記念」 Fさんの戦前・戦中・戦後アルバム終り。FさんYさんご夫妻ともご健在だそうです。資料ご提供ありがとうございました。ご長命であられんことを祈念いたします。

小型トラック 02

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撮影年不明  バスと一緒に写ったトラックと同じトラックのようですね。    04356

【ポンコツ】さんに教えていただいた昭和24〜5年のダットサン4157型トラックでしょうか。

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