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旅装の人や登山客があふれていますので、当時中央本線の列車が発着していた1・2番線(現9・10番線)ホームの光景です。1番線に停車中の車内から写したものでしょう。奥の電車はオレンジ色の中央線上り快速101系電車。当時は量産の真っ最中でした。左が東京方面、右が中野、立川方面です。右奥に見えるのは跨線橋(ブリッジ)ではなく、新宿駅の名物だった荷物運搬用の通路橋です。 シームレスストッキングの製造販売は昭和27年、国内本格発売は昭和36年だそうです。撮影の昭和35年10月東京ではもう普及していたんでしょうね。 右端の縦縞スーツの女性の左ふくらはぎにはシームがあり右ふくらはぎにはシームがありませんよ。左右のストッキングはつながっていないので新旧混ぜて使用でしょうか。 当時の新宿駅は4面8線しかなく、1・2番線は原則として長距離列車用でしたが、朝のラッシュ時には上り東京行き快速電車の相互発着に使用され、列車は細々と3番線を使っていました。1・2番線は昼行、夜行の臨時列車にも使われ、混乱を避けるためにロープを張ることもありました。なお、女性が腰を下ろしているのは椅子ではなく、駅員が旗やライトで車掌に発車合図を送る時の足台(踏み台)です。 昭和39年にホームが1本増設されて(現在の7・8番線)、新宿駅も手狭さから解放されました。現在はホームが8面になり、16番線まであります。 |
昭和30年代
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ダイヤガラスのガラス戸ですね。扇風機は形から三菱製のようです。 |
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今の工事は重機(ユンボ)を使うのでこういうベルトコンベアを使う光景も見かけなくなりました。 西武新宿線の新所沢駅は旧御幸町駅(さらにその旧名は所沢飛行場前)が昭和26年に移転して北所沢駅として開業、昭和34年に新所沢駅と改称されたものです。2度にわたる改築で現在は新宿線の拠点駅の一つになっています。 鋼製電話ボックス(屋根が赤いので丹頂型と呼ばれた)も懐かしい景物ですね。昭和29年初登場で、昭和30年代はその全盛期でした。塗り替え時期に来ると、関東では刷毛塗り、関西では吹き付け塗装を行っていて、東西の違いを見せていました。大都市ではトイレ代わりの使用が増えたのと防犯のため、昭和40年代からガラス張りの電話ボックスに変わっていきました。 右手のお母さんが買い物かごを手にしていますよ。 写真04897の西武バスは日産UG590シリーズの1台。当時の西武バスに多数導入されていたボンネット車で、車体は富士重工製です。戦前・戦後の銀色/青帯からクリームイエロー/茶色になっていた西武バスの色は、昭和30年代に入るとクリーム/薄緑の「笹カラー」に変わり、現在もこの塗り分けが続いています。 新所沢駅のホームから本川越方向を見たものです。同駅は昭和26年に北所沢駅として開業、昭和34年に新所沢団地竣工に合わせて新所沢駅と改称しましたが、駅は島式ホーム1本(1面2線)でした。米軍基地(旧・陸軍所沢飛行場を接収)への貨物輸送があったので、駅構内には貨物側線が多数ありました。昭和37年に橋上駅に改造、平成8年に全面的に改築され、ホーム2本(2面4線)となりました。余談ですが、市街地化して発展めざましいものの、駅や団地から少し離れると現在も広大な畑と雑木林の武蔵野の風景が見られます。 |
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[ 小金井橋 ]さん情報
ひばりが丘団地は昭和34年に竣工した住宅公団のマンモス団地です。西東京市(当時は北多摩郡保谷町・田無町)と東久留米市(当時は北多摩郡久留米町)にまたがる広大な団地で、竣工当時は180棟、2714戸。最寄り駅は西武池袋線のひばりヶ丘駅(団地とは表記が異なる。旧田無町駅)です。多摩ニュータウンが建設される前の多摩地区の大型団地には、他に多摩平団地、神代団地、桜堤団地、富士見町団地、多摩川住宅などがあります。写真のような団地風景が昭和50年代まで見られましたが、建物の老朽化と居住者の高齢化が進み、改築が進んでいます。ひばりが丘団地も「ひばりが丘パークヒルズ」への建て替えが進行中です。 |






