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実際に使用された絵葉書で消印が28.12.10となっています。明治期でしょうね。00318 [人力車のプロ、どついたれ56さんより情報提供] 人力車は明治2年に日本で発明されました。 その後明治8年に写真のような腰掛タイプに改良され、大量生産されました。車輪も木車輪⇒ノーパンクタイヤ⇒空気入りチューブタイヤと進化しています。ノーパンク以降がスポークです。 現在でも使う技ですが、上り坂の勾配がきついときは後ろ向きで引くとけっこうイケます。さらにジグザグに登ればさらにイケます。坂の無い所で引いている車夫さんはわからないと思いますが・・・ 写真はたぶんゆっくりとバックでジグザグに引いているのではないかと思います。 最近あちこちの観光地で見かける人力車は2人乗りです。観光人力車のルーツは岐阜の高山で昭和30年代に東京のほうから1人乗りの人力車を3台持ってきて営業を始めたそうです。2人乗り人力車は25、6年前から登場したようです。でも古い写真を見ると女性が2人乗っている写真もありますね。1人乗りよりちょっと幅広の1.5人乗りってところでしょうか? 俥夫の服装についてですが、人力車というと昔も今も「和」のイメージになってしまいます。今の俥夫はそのイメージを壊さないようにしていますが、昔の俥夫は特にこだわっていなかったようですよ。近所の写真館には詰襟の学生服のような服装で人力車を引く俥夫の古写真が絵葉書になって売られています。人力車さえあれば誰でも始められる、毎日現金収入のある日銭稼ぎですからね。 [グズグズさん情報]
奥の赤い建物は明治39年に外国人の個人宅(日光屋敷と言われる)として建てられ、大正9年に「テンプルコートホテル」として開業。後に関東大震災により倒壊した。横浜都市発展記念館のデータベースより引用いたしました。 |
明治時代
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日露戦争ころの防寒具でしょうか、 袖が長く中国で調達したようなデザインですね。00410 【久左衛門さん情報】
袖の赤十字の腕章から、衛生部員でしょう。このカーキ色外套は、大陸の土の色の中で目立たぬよう、戦時用に日露戦中に制定されたものです。 |
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明治44年10月、名古屋 00334 男性2人は似ているようですが、兄弟でしょうか? 目線が小さな子以外はバラバラですね。 拡大してみると、何人かの眉に修正の跡がみられます。薄かったようです。湿版の写真は肌色が実際より黒く写り、眉などが白っぽく写るようですね。
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明治39年9月3日。 大手商社の支店内船積掛。さすが大手の会社ですね。みなさん仕事が出来そうです。真ん中の方が手にしているのは算盤ですね。どうやら五つ玉のようですよ。(今の人には説明が必要かな?) 天井が高いですねぇ!天井には扇風機が回ってるようです。ごみかごは針金の網でできてるようですね。机のロクロ脚がちょっと派手ですが、電気の傘にしても、機能一辺倒でない文化の香りがしますよ。
この頃の背広は、襟幅が狭いですね。 |
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長州藩は、明治政府の首班を占めたので、廃藩置県、廃城を行う範とするため、全国に先駆けて城を解体しましたよ。明治7年のことです。 この写真は、ですから明治のごく初期に撮られたものと思われます。撮影者は不明です。 お城の写真は、よく目にされると思いますので、着色してみました。 (実は、この彩色写真は山口の土産品店で販売していますので、無断でのコピー使用はご遠慮下さい。見つけた場合は、賠償請求するかもしれませんよーー笑ーー)
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