ドクダミの詩

ドクダミ(十薬・ジュウヤク)の名実ともの復権を願って・・・健康井戸端会議第二弾

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桔梗の花ホワイト版

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2年前にSのタネを買ったら、全く別種の桔梗の種が入っていた。
調べたら、製造工程のミスだったらしい。
S社が正しく送ってくれたキキョウの種、五月雨・・・いろんな色が美しい。
私の店では、紫と白が咲きました、株分けしてあげたら、対面のお店ではピンクの花だったという。
店頭に今朝はこんな表示をしました。
「桔梗の花・・・ホワイトです
キキョウの根は、当店家伝薬
「赤茂伝」(あかもでん)の原料の
一つです。
赤茂伝は
江戸時代から、女性の不定愁訴
(頭痛やめまい、冷え性・産前産後)
を改善する
安くて効く!(1500円)
漢方粉薬です。」

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父の自伝・夏山のしづくでは、なぜか戦争の終結を816日としていた。単なる勘違いなのか、生きているうちに聞いておくべきだった。5年でも10年でもこの宮古島で生活していく心構えをして、食料の自給自足作戦なども研究していた、その時、全員、兵舎の前に集合命令が出た。父は本の中でこう書いている。「何か重大な予感がした。隊長殿は静かに不動の姿勢をとられ、涙を流しながら陛下の終戦のお言葉を伝えられた。兵隊は全員、ただ唖然とし、気を失った態であった」。
その日から毎日のように、故郷に帰れる日を待ち焦がれていた。昭和2011月の末か、12月の上旬、ついに内地帰還の命令があった。自分で縫い上げたリュックに所要の品を詰め、リュックを背負って海岸へ歩いた。数百メートル先に、アメリカの輸送船が煙をはいて乗船を待っていた。本土帰還と聞いてはいたが、内心はどこへ運ばれるのか若干の心配と不安があった、という。しかし、富士の山が見えた時、兵隊すべてが安堵した。
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「甲板に上って久しぶりに見る本土の富士、だれもが、目頭を熱くした、声は出さなかったが両手をあげ、心の中で万歳を叫んだ。戦死された戦友に、この富士の雄姿を見せたかった」と父は書いている。
常陸太田・瑞竜の実家に着いたのは夕方だった。「父(父の父)は風呂に入っていた。父は、風呂で、声をあげて泣いていた。母は涙を一杯浮かべて、ご苦労だった、と労をねぎらってくれた。家内はただ、涙を浮かべていただけで言葉にならなかった・・・」父の自伝でそう書かれている。
 
 昭和2283日、私は、この瑞竜の家で生まれた。2歳半までこの家に住み、その後は、父の転勤で久慈川沿いの水郡線・西金に行き、小学6年で太田に戻るまで、10年を奥久慈の山の中で暮らした。
 
戦乱の嵐を果敢にくぐり抜け、九死に一生を得た父の姿を追いかけようとした沖縄・宮古島の旅が終わった。初挑戦の芝居チャレンジ、芥川賞作家・火野葦平作「ちぎられた縄」も成功裏に終わった。
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米軍基地の7割を沖縄に依存している。我々内地人ヤマトンチュは、沖縄の人々のために何ができるか、目下の私の結論は、沖縄の隅々まで知ること、そのためには沖縄に、頻繁に旅をすること、観光の旅大歓迎、旅は楽しい方が良い、私の音頭取りで、「沖縄にどんどん旅に行こう会」を創ろうと思っています。(おわり)

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 旅の荷物の中に初芝居の台本を入れておいた。
 少しでも台詞覚えしなくちゃならぬと、思ったからである。ホテルに着いたら、トランクの荷物はほぼすべて出す、当然、台本も机の上に置く、兄が見たようだ、二役の話をしたら「そりゃ大変だ、覚えられるのかな」と首をかしげる。若い方と違って、古希目前の脳細胞は、台詞覚えに大きな障害となった。
 主役のおつるさんを演じたNさんからは「三味線習いより先に台詞覚えてね」と言われたし、沖縄俳優の娘役のGさんからは「台本を早く手元から離さないとダメよ」、恋人役のKさんからは私のぎごちない動きをしばしば、注意された。
 大学入試も浪人して秋風が吹き始めた頃から、半年間の猛勉強で全大学に合格した、早稲田の一文も受かり、父は早稲田に行けと言ったが、すでに入学金を収めた学習院に行くことにした、喧騒を感じない目白の森を散策したかったしね、学生生活4年間で、勉強したのは2年から3年への進級と、卒業のための4年生の時、あとは昼夜逆転の暮らし、夜中に読書三昧、昼は寝ていて、夕方起きて、アパートの傍、雑司ヶ谷の饂飩屋でカツ丼を食う時から一日が始まる、新聞記者の時も、やる時は人の三倍、馬に食わせるほどの原稿を書いたが、やらないとなったら、全く書かずに、パチンコ屋で現を抜かしていた、そんな人間だから、台詞が覚えられなくても、最後の最後、追い上げ一本で、本番までには必ず、何とかしてみせる、と腹を括っていた。で、結局は、5月も中旬になったら、ほとんど台詞は頭に入った。本番4回の公演では、台詞が飛んでしまった箇所も何か所かはあるにはある、しかし、大きなミスはなく、無事に終わった。日本の文化に関心が深いジョニー軍曹の役は会場の人気者だったかな。
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 沖縄老俳優、志喜屋長顕(シキヤチョウケン)が見せる組踊り女物狂の一場面、人盗人(ヒトヌスビト)の演技、劇団主宰・演出の木村女史からは「ここは長顕の見せ場だから、舞台中央で堂々と一人舞台を見せて!」と言われていた、実際に国立劇場おきなわで、女物狂を拝見したことも役立ちました。踊り下手の私にとって、足をあげる場面は若干、オリジナル性も加えて、毎朝、昔からやっています相撲の四股ふみが役立った。

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 イメージ 3柏から見に来てくれた兄も、終わった後に電話くれて「4回で終わってしまうのが勿体ないくらいの名演でした、皆さん」と感激してくれました。

今回の沖縄の旅・宮古島行きのキッカケは、茨城新聞旅の欄に書かれていた「宮古ブルーの海で採れる雪塩」に興味を持ったことだった。ですから、当然、父の痕跡探訪、デイゴ探しの後は、雪塩を目指した。雪塩製塩所は島北部にあった。池間島が見えて、風車がまわる、まさに海の別天地、どこまでも碧い宮古ブルーの海が、私たちを優しく、そして、暖かく迎えてくれた。ミネラル一杯の、まろやかな真っ白い雪塩もお土産に、一杯買ってきた。(つづく)
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デイゴを探して・・・

 兄がこんなにも「燃える!」人だとは思わなかった!旅で知った新発見!

父親の痕跡を見つけ出そう、というのは、解る。しかし、兄は、私の旅の望みの一つ、デイゴの花探索に誠心誠意、尽くしてくれたのである。

  最近ヒットしています島唄に最初に出てきますね、デイゴの花、「デイゴの花が咲き 風を呼び嵐がきた」その花である、見たことはない。しかし、今度の芝居公演「ちぎられた縄」で私の台詞にも何回か登場する、見れるものなら見てみたいものだ、そして、手に入るなら手にしたいものだ、そんな感情も旅の望みにあった。兄にも当然に話した。

 そしたら兄は、ホテルの従業員、そう、誰にでもお薦めしたいほど立地、サービス、食事、料金が優れていますホテルです、そのうら若き女性従業員に、兄は聞いてくれたのです!「デイゴの花ってどんな花?」って。そしたら、現地の植物写真集みたいなものを見せてくれたらしく、兄の先入観に、デイゴの花がイメージしたようなのです。それに基づいて、動きました、はいはい、父の痕跡探訪を終えてからね、あちこち回りました、伊良部大橋を渡って、伊良部島まで行きました、そして聞きました、でもわからない、無い!

 聞き歩くことで有力情報が入りました、平良の熱帯植物園にデイゴ通りがある!やっとデイゴの花に対面できる、と期待して行きましたが、残念無念、立派な大木とご対面できました、デイゴの花と木ってこんなに大きな樹木だとは知りませんでした、対面できなかった最大の問題は、まだ時期がイマイチ早かったこと、しかし、仮に最盛期に行っても、どのくらい見れたかは、不透明です。

 訳は、近年、デイゴの木に、害虫が繁殖して、枯れてきているそうなのです。初めて、そんな事実も知れたデイゴ探訪、生まれて初めてデイゴの花に出遭えたのは、旅から帰ってその後、薬草ボランティアで月に一回通っています水戸市植物園の熱帯植物園で、1、2輪の開花を確認、探していた恋人に会えたような感動を覚えました。

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 過日の芝居では、軍人から転身して、陶芸の道に進むジョニーの台詞、「シマブクロ センセイ デイゴノ ハナ イマ サカリデスネエ」先生は答えます、「デイゴの花は火の花です、情熱の花です、あの花を見てると守礼を感じます」

 守礼とは沖縄の伝統の神髄で、平和、武力を禁じて、礼を守る、そんな意味で、沖縄人の誇りの言葉である。

 

 デイゴのセリフを言いながら、宮古島のデイゴ探しと、兄の弟愛を思っていた・・・。もちろん、芝居の観客に兄も居た・・・(つづく)

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