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経験が少ないという事は、それだけ貧しいという事。 見た物聞いた物やった事その全てが経験として蓄積される。 やってみて初めて、それがなんなのかわかることもある。 やってみて初めて、やった人の気持ちがわかる、どうやられたのかわかる。 ベクトルの元になってみてわかることもあれば、ベクトルの先になってわかることもある。 それぞれが、別々の経験である。 あるいは、どちらも経験して始めで気付くこともあるかもしれない。 自分が子供を育てて、初めて自分がどうやって育てられたのかわかるという。 大人になって初めて、子供のころ自分を叱った大人の気持ちが、その説教の意味がわかる。 その時期を過ぎて初めて、その時期の大切さがわかる。 失って初めて存在に気付く。 経験は財産。 時間を「何か」に使った人が、その時間でその経験をしながら知ったこと、思ったこと、得たことは、その時間を無為に過ごした人には判る筈がない。 本質は、触れたものにしかわからない。 しかしながら、誰かが「何か」をしたその時間を無為に過ごしていた者が「無経験」だとは思わない。 時間を「何か」に使った者には、無為に過ごした者の気持ち、得たもの、その無為自体の事を知ることはできない。 無為は、無為に過ごすという経験である。 無為に過ごした者は、その無為を後悔したかもしれない、その無為の時間に何かを考えたかもしれない、あるいは何も考えないという経験をしているかもしれない。 有意も経験であり、無為も経験である。 そのどちらも、内容は違えど同じもの。 価値が違うという者がいるかもしれないが、価値とはそれぞれが決めるもの。客観的な価値などに意味はない。 時間は平等。 使い方に違いはあれど、過ごした時間は変わらない。 その価値も、すべて自分が意味づけする事が出来る。
つまりは、そういうこと。
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