|
生物は恒常ではない。
元ある個体から突然変異が生じ、自然選択だとか、遺伝的浮動だとか、様々な事象によって新しく発生したその形質がその種のスタンダードになってゆく。その時、その環境に適した形に「進化」する。
環境に適したタイプが残り、悲しきかな「型遅れ」あるいは劣等種が淘汰されてゆく。
そんな中で、悠久の時を経て人間は今の形に進化した。
陸上での生活に都合がいいように2本の足で歩き、道具を使う為に指が細く長く器用に、力の代用として知識を得、考えるために頭が大きくなった。
生物の多くは何らかの、生きる為の能力に特化している。
ある生物は腕力が強く、ある生物は餌を捕食する為に触手を生やした。植物は虫を集めるために鮮やかに、あるいは芳しい香りを放つようになった。
人間は、木の上を自由に動き回る身軽さやバランス、力を代償にして、知恵という能力を手に入れた。
ここまでは他の生物と変わらず、ただ「生きるのに必要なある能力に特化した」というだけである。
しかし、ここからが人間と他の生物を隔したのではないだろうか。
この隔すは、ただ文明を得たという意味では無い。
人間はこうして得た知能を発達させて、文明を築く。そして、人間に代わって人間を支える技術を発展させた。
この技術の発達は、これからは自分たちが適応することなく、周囲の環境を人間が過ごしやすいように適応させるだけの魔法を、この動物に与えてしまった。
人は、技術を進化させることで、生物としての進化を止めたのだ。
運輸が、道具が、情報が、全てが進化し、人間の暮らしはどんどん便利になった。
身近な所では炊事洗濯などの家事、電話や交通などの情報通信、運輸手段。
手間や時間、労力は省かれ、日増しに人間が行うタスクは減っている。
その為だろうか、先進国の人間の身体能力は、かつてに比べてだいぶ低下したという。
単純に身体能力の低下だけだったら、それも一つの進化の形なのかもしれない。
しかし、今度はそれだけでなく、便利なシステムや情報機器が、今まで人間が何を捨てても守って来た知的領域を侵食している。
日本で言えば、携帯やPCでの入力の補助のせいで「漢字が書けなくなる」と言われていたりする。また、何も考えなくとも便利に暮らしていけるだけの設備は、知恵を回す事を忘れさせる。
技術を活用して自分の能力を最大限に駆使するものが居る一方、技術に依存して能力を退化させる人間の多いこと……。
思考の補助が外部の機器によって行われるのが当たり前になってしまったら……。
全てのプロセスは、進化のひとつながりかもしれない。
しかし、知恵の為に力を犠牲にした生物が、その叡智までもを失うとしたら?
ゆるやかに生物としての破滅に向けて歩んでいるのかもしれない。
|