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アンチフェミニス

男女平等という名の女尊風潮が広まっている。
レディファーストを押し付け、権利ばかりを主張する女が増えた。
社会進出だとか、女性の活躍だとか、そんな名前までつけての社会への侵蝕。
全てにおいて男性と対等、あるいはそれ以上の対応を求める。

こんな見せかけの地位の向上は、とても美しいものとは思えない。

なぜなら、「優秀な女性たち」はどうやっても優秀な男性たちに劣る能力しか持っていないからである。

確かに、優秀な女性たちよりも幾らか劣る男性がいるのも事実ではある。
しかし、何らかの基準を作って男女の能力を数値化し、それらを並べ、それぞれの平均値以上の個体のさらに平均を取ると、確実に女性の平均値のほうが男性の平均値よりも劣るのではないかと思う。

というのも、女性のほうが生物としての「振れ幅」が狭く作られているのではと感じるからだ。

女は子供を産む。男性は遺伝子を提供する。
この時子供の元となるのは、女性側の身体から作られる卵だ。
また、子供を産み育てるのも女性側であることが多い。

つまり、次世代となる子供を形作る時に、配合のメイン(メインといっても女性側の性質6割:男性側の性質4割という程度だと思うが)となるのは女性側である。
遺伝子的には確かに雌雄半々の性質を受け継ぐことになるが、児の身体の肉となる卵の細胞質はすべて女性側から作られたものだ。
つまり、肉体自体には雌側の個体の影響が強くなることになる。

このことから、雌の個体にあまりにも低い性質を持たせるのは子供を育てるうえでよろしくない。
同じ理由で、突飛な性質を持たせるのは生物として得策ではないのだ。

一方遺伝子の提供者としての雄個体には、生物の多様性を持たせるために上下方向どちらにも振れが必要である。
抜群の運動能力を持つが、その他がはるかに平均を下回る個体。
知性だけがきらめく、変わり者の個体。
逆に、何もかもが平均値の個体。

雌に比べて繁殖リスクが少ないからこそできる多様化。
しかし、このおかげでより優れた個体を生みだすこともできる。

どの生物でも、雄は生殖のために競争をする。
そしてその敗者は遺伝子を残すことが叶わない。
種全体の為に「同じ種の雄同士で」潰しあうのだから、残ってくるのは当然優良な個体である。

一方、雌が競うことは少ない。
生物としての変化の幅が少なく、どれも「それなり」であることが多い。
同じ性別どうして競うことがないのだから、劣等な個体もそこそこ残る。

切磋琢磨しあった男、待つだけの女。

女尊風潮には、生物としての違和感と疑問しか残らない。



ただ、それが文化とか倫理とか、生き物としての秤にかけるのが難しいものなのだけれども。


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