Pの、遺跡侵攻記

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水戸城 発掘調査

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先日11月16日(日)、曇り時々雨という冴えない天候の中、水戸市中心部の江戸さん宅、水戸城の発掘調査現地説明会に行ってきた。お昼過ぎまで家族で紅葉見物した後、急いで帰宅し2時半からの説明会に参加という、強行日程であった。
現在、発掘が進められているのは水戸二中全面改築のために一時的に壊された校舎跡地および水府橋交差点道路脇の2箇所です。
茨城新聞や読売新聞等に掲載された障子堀があったのは水戸二中校舎側です。この障子堀が造られた年代を調べてみると、江戸さんがご在宅だったころだそうです。以前の発掘で、大規模に谷に手を加えた跡が出てきたことがありましたが、今回の発掘成果で、江戸さんによる改築がかなり大掛かりであったという、史実とはだいぶ様相が違ってきてしまったのは確実だそうです。
ところでこの障子堀って、県南地区では主に北条系の城館に見られる形態だそうだが、それがここ水戸市で見られるとは思わなかった。あくまで想像(妄想)だが、この障子堀は防御用というよりは溜池というか用水路的なものとして使ったのかな?とか思ったりする。江戸氏系の城館って結構、水路や溜池などと関係が深いからその延長かなと考えたのだが、真実は?
台地下の道路沿いの堀跡だが、発掘前に行われたボーリング調査で、推定深さ5m程度だという。16日現在、ようやく3m近くの深さになったそうで、明治時代くらいまではきたらしい。今現在分かっているのは、コーナーの確認、土・粘土・砂等を交互に積み上げた版築構造です。また、堀に溜まっていた灰の層がありそれを調べると第二次大戦で焼けた廃材のもので、堀が現在の地表面の高さまで埋まったのは意外にもつい最近、大戦直後だったらしいです。
調査員の方も言っておりましたが、水戸城についてようやく一歩足を踏み出した段階とのこと。実際、多くの資料にも載っているため、水戸城のこと知っている人は大勢います。ですが、水戸城の全容はまったく不明です。光圀を始めとする徳川による佐竹消しと、ろくに発掘調査もせずに開発を最優先してしまったのが原因でしょう。残念ながら今回も、記録調査終了後に破壊されてしまうようです。


上から2番目の画像は、発見された障子堀。発見場所は、地図内赤丸A右側の、赤い棒線辺り。

3番目のは、台地下道路脇の現場。地図内赤丸Bの棒線の辺り。周りの鉄板は崩れ防止用である。

4番目のは、一昨年の調査で発見された瓶と古銭の一部。発見場所は、地図内のプール付近。


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