Pの、遺跡侵攻記

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撤去されました

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今回はちょっと休憩。
我が地元、常陸太田市にある廃寺跡のことです。

茨城県北部の旧常陸太田市北部増井町にひっそりと佇むお寺がある。茨城県の歴史ツアーなどでおなじみでもあり、茨城県の戦国大名”佐竹氏”の初期の墓石や水戸徳川2代目藩主の家臣”助さん”こと”佐々宗淳”の墓石がある”正宗寺”である。
この正宗寺の北東約200mほどのところ、南側に源氏川が流れ、現在は水田や畑地、宅地になっている微高地があるが、ここも正宗寺と関連が深い”勝楽寺”という廃寺跡である。

勝楽寺は正宗寺より歴史が古く、延元元年(923年)に鎮守府将軍平良将が増井寺を創建したと云われる。その後、永承6年(1051年)に源義家が前九年の役に下向途中に朝敵調伏の祈願を行ったことが縁となって真言宗に変わり”大瑞山勝楽寺”と改称されたという。その後、境内に子院正法院、正宗寺が建てられていったという。
この勝楽寺は後の慶長初年に兵火で焼失し、それ以後も正法院とともに建物等は再建されず、正宗寺を残して廃されてしまったと云われている。

この勝楽寺跡について、現在は宅地や水田、畑となっているものの、それらの配置が当時のままという部分が多々あって、割と容易に当時の寺の範囲などが判明したと云われている。しかし、それ以外にまったく遺構が無いわけではなく、実は当時の遺物が残っていた。それが”盤陀石”と呼ばれる庭園庭池に設置されていた石である。
大小合わせて3つの石が水田の端に残っていて、正宗寺に設置されていた案内板にもそれが書かれ、この地を訪れた方々の多くがこれをご覧になられたと思います。

そんな、過去に行われた測量等の調査でも間違いなく基準の一つになったであろう、当廃寺跡のほぼ唯一のパッと見ですぐわかる遺物の盤陀石なのですが…

今年の3月の終わりか4月の初めくらいだったでしょうか。撤去されました。

理由は恐らく単純に”田んぼの邪魔”ということでしょう。文化財指定になってなかったものとはいえ、これはちょっとあんまりなのでは?

上の画像は今年2010年3月21日撮影のもの。

下の画像は2009年6月13日撮影のもの。

両者とも大体同じ位置から撮影しています。
残存していた頃のこの画像が、まさか最後を写したものになるとは思いませんでした。


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