Pの、遺跡侵攻記

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雨引要害

2018年2月11日、ヤブレンジャー及び栃木県の方々合わせて10人くらいのメンバーに同行させていただき、登城した山城です。

茨城県西部にある安産祈願のお寺として、また、アジサイ寺としても有名な真言宗豊山派雨引山楽法寺がある。通称:雨引観音と呼ばれるお寺の北側にそびえるのが雨引山である。その雨引山山頂が”雨引要害”の跡である。所在地は桜川市(旧大和村)本木字雨引という。

雨引山は三角点表記がある標高409.2m、雨引観音との比高は約210mにもなる。雨引観音からはハイキングコースが設定されているため、容易に山頂まで行くことができ、展望も良いためか登山客も多い。

この地域は戦国期には結城氏、笠間氏、真壁氏、益子氏といった勢力による合戦が多かった地域であったようで、「大和村史」によれば、天正14年頃、笠間氏を抑えるために桜川市の橋本城を結城氏家臣”片身晴信”が守っていたといい、これと合わせる形で橋本城の南側にある龍蓋山(後の雨引山)に砦を築いて兵を駐屯させていたという。しかし、益子町田野を目指す真壁道無とその救援に駆け付けた太田三楽斎の軍勢のうち、真壁道無の手勢に攻められ、雨引要害は落城したという。一方の橋本城は雨引要害攻めに先立って、太田三楽斎等によって占領されてしまったという。

遺構は、雨引山の山頂部をほぼ全部使用して築かれており、三角点が置かれた本郭らしき区画には東屋やベンチが置かれ、ここからの見晴らしはスゴイのひとことである。道や、階段等が設置されているが、あまり改変は受けていないようであり、東屋がある区画は広さ約20m×25mの五角形状で、東側が微妙に高く土塁のようにも見える。西には深さ約4m×幅約3mの堀切が設けられ、この堀切は帯曲輪となって北から東へ山頂全体を取り囲んでおり、東端部も同規模の堀切となっている。中央部北側には虎口が設けられ、東へ土塁は折れ曲がり、この部分のみ横堀となっている。深さは50センチ程度しかない。

全体的に北側に重点を置いた造りで、南側は急斜面ばかりなためかあまりいじられていない。郭も一応は複数設定しているようにも見えるが、基本的には単郭の臨時築城のような感じで、村史に記述されている通りの遺構のように思える。
落城後、この地は下の楽法寺含めて真壁氏の領地となったようで、そのころには使われなくなったものと思われる。

画像は、上から所在地、雨引観音黒門前駐車場から見た遠景、縄張図の順。
4番目=縄張図内①、東側堀切の様子。画像右手が郭側。
5番目=図内②、西側堀切を郭から見たところ。
6番目=図内③、北側横堀の様子。中央部から左手に登城路が登っている。
一番下=郭から南側を見た展望。前日の雨で靄かかってます。本来なら真壁城が見えます。左手の山は筑波山、右端の山はたぶん筑波・多気山城。
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