Pの、遺跡侵攻記

自分の趣味を紹介するブログのつもりです。

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府中城 

 令和初の紹介城館なんですが、お城趣味としても初登城、神社にも初訪問、初御朱印と、実は初めて尽くしな物件です。
 まあそもそも、お城趣味なんだからこの場所は行ってて当然ということが、まったく当てはまらないのが当ブログ管理人Pなんですがね・・・


 府中城は、石岡市市街地の端部にある石岡小学校を中心とした一帯にあり、所在地は石岡市総社1丁目字古城(こじょう)という。南を流れる志筑川(現:恋瀬川)とその広大な湿地を望む、低地との比高約20mの台地端部を利用している。この台地には、その志筑川低地から続く谷津が何本も深く入り込み、これらが天然の水堀となっている。
 この城の歴史としては、常陸大掾職の平国香を先祖とする常陸平氏がこの地を治めていたが、、平安末期に庶流で主に水戸地方を治めていた吉田系一族(馬場)資幹が宗家を継いだことに始まるとされる。資幹から、職名であった大掾を家名にしたと云われ、以降、宗家は大掾氏と呼ばれていき、鹿島・行方・真壁・小栗といった非常に多くの一族を生み出しそれぞれの土地で大きく発展していき、常陸国の大半は平氏が治めていた平氏王国であったが、南北朝期は北条氏や足利氏、佐竹氏などに付いたりといった対応だったらしく、この時期の当主詮国によって初めて府中城は築かれたという。その後、室町初期の上杉禅秀の乱を経て、多くの一族が滅亡したり移住を余儀なくされ、宗家もその力を落としてしまったという。それを示す事件として、府中で行われた祭事青屋祭に一族が参加、それによって留守になった水戸の屋敷が藤原一族江戸氏に占拠されてその地方の影響力・所領を失ってしまった。室町末期には、その江戸氏が南進、大掾一族小幡氏を攻め立てたという。これに対し、同族小幡氏支援のために出陣、小鶴原で江戸氏と合戦に及んだとされる。そして戦国期、北から江戸氏、南や西からは小田氏や真壁氏が府中侵攻を繰り返したほか、東からは園部氏もちょっかいを出し始めるなど、ほぼ四面楚歌といった状態が続いていたようである。そんな状態が続いた戦国末期、小田氏によって南の拠点三村城が落城してしまう。この時期はもう1勢力の佐竹氏も味方に付いたり敵になったりと非常に強い影響を与え、天正18年に豊臣秀吉の小田原攻めに参陣しなかったことも影響し、同年末に秀吉から公認を得た佐竹氏によって水戸城の江戸氏と共に、府中城も攻められて落城、城主大掾清幹は自刃し、これによって府中は佐竹氏の領地となり、府中城は佐竹(南)義尚が城主となり、現在に続く町割りの基礎を作ったという。しかし慶長7年に佐竹氏は秋田移封となり、直後に入れ替わりで六郷氏が入ったとされる。後に、六郷氏も出ていき、今度は皆川氏が入った。その皆川氏が出ていった1700年代以降、府中松平氏の領地となって城内に陣屋を設けた。その後、明治になってしばらくは畑地であったようだが、半ばの頃に学校用地となり校舎が建設され、今の石岡小学校となって周囲は住宅地へと変わっていった。府中城は、奈良時代からこの常陸国の中心地、現在の呼び方で県庁所在地にあたるこの地区と共に、発展や衰退を繰り返してきた城郭と言える。
 城の遺構等についてだが、上記の通り明治半ばに学校地となってから急速に市街地化が進み、現在も宅地開発が行われ残存状況はあまり良くない。とはいえ、明治17年の陸軍迅速測図や現地の土地の起伏などからある程度の姿は想像できるかと思う。
台地最西端部にⅠ郭を置き、東にⅡ郭、更に東に小学校が建つⅢ郭、それら3つの曲輪を取り囲むようにⅣ郭が設けられ、大きく4つの曲輪で構成されていたようで、更にその周囲を多くの砦を配置して防備を厚くしていたようである。このうち、Ⅲ郭跡の小学校敷地東端には高さ約4mの土塁が残っており、残存遺構としてはもっとも良好かつ知名度がある場所である。また、Ⅲ郭とⅠ郭の間にあるⅡ郭にはかつて堀切が残っていたが、西暦2000年の直前あたりで埋められてしまったが、それでも幅約10m×深さ約5mの堀切の一部が残っている。このⅡ郭北側下にかつては鈴ヶ池という池があったという。この他、Ⅰ郭西突端部には、上部が削られて下部のみが小規模な畑として使用されている土塁(もしくは櫓台跡)の残欠があるほか、総社宮南側斜面には竪堀らしき溝、Ⅲ郭周囲には谷津から派生した大堀や切岸、箱之内台地北側斜面には先の大堀(谷津)に繋がる帯曲輪など、城の遺構と思われる地形が広範囲にわたって残っている。


縄張図
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縄張図内①=Ⅰ郭東堀切の残存部
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縄張図内②=Ⅰ郭西突端部の土塁残欠
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縄張図内③=Ⅰ郭西端部の堀跡の様子
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縄張図内④=Ⅰ郭西端の切岸。上記の土塁跡の斜面部
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縄張図内⑤=Ⅰ郭南側の切岸の様子
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縄張図内⑥=Ⅰ郭南側下にある、曲輪のような民家と堀跡?
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