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国道6号貝地信号を南東方面へ曲がり、県道118号を進むと左手に万福寺というお寺がある。この万福寺境内を含む一帯が、税所(さいしょ)屋敷の跡とされる。所在地は、石岡市茨城(ばらき)1丁目字茨城(ばらき)という。
城主は、古代から続く府中6名家の1家「税所氏」で、元々は大坂などの近畿地方で力を持っていた「百済氏」とされる。その名前の通り、百済氏はお隣、朝鮮半島の古代民族の末裔とされ(現在の朝鮮人とは血のつながりも含めて一切関係無いらしい)、代々都周辺における税に関する職を担っていたらしい。今でいえば、国税局?あるいは財務省?及びその職員といった感じでしょうか?
それは、地方の各国府に転属となってからも維持され、後に大掾氏と同様に、職名を苗字とし税所と改めたようである。常陸の税所氏は、常陸国府において同様の地位・役職にあったようだが、後にそれらの役割が薄れていくと、この地の領主大掾氏の有力家臣・武士として仕え、各地への転戦、他勢力による府中防衛などに同行していたようである。この頃になると、百済氏の血筋も途絶えてしまったらしい。また、税所氏が書き記した文書関係は、現在でも第1級の資料として茨城県の歴史解読に役立てられているほか、1400年代末期の文明年間に、当時の城主税所貞成によって城域内に建てられたのが、曹洞宗光林山万福寺とされる。戦国末期の天正18年、佐竹氏による府中城侵攻に際して迎え撃ったものと思われるが生き残り、佐竹氏移封後の慶長年間に屋敷を去り、以前紹介した北側の街中にある元同僚の居住地の弓削屋敷に移住、その場所で有力者として近世・近代を生き抜いたという。現在は、茨城県内には税所氏は居なくなってしまったものと思われる。
遺構についてだが、堀や土塁といったものは一切無く、土地の起伏などによって、北側下を流れる山王川低地から続く谷津が南北に入り込んだ地形を利用して築かれていることが見て取れる程度である。このほか、境内のお寺本堂裏に税所氏歴代の墓石が並んでいる。
航空写真
万福寺入口
入口の西隣
本堂裏の墓地、税所氏の墓石群。古そうな宝篋印塔がある。
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