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涸沼を望む低地との比高約15mの親沢台地先端部にある。所在地は、茨城町上石崎字親沢(おやざわ)という。以前、ボーイスカウトの敷地として使われていたため綺麗にされていたが、現在は使用されておらず、ヤブ化している。
周囲には高さ最大約3mの土塁が周囲を巡り、西側には中央に折れを伴った深さ約5m×幅約7mの堀切が設けられている。また、曲輪内東側には館ノ山古墳があり、祭祀施設あるいは物見として使われたのかもしれない。 この地は、常陸平氏の石崎氏が治めたとされ、1300年代の南北朝期から長い間は佐竹氏の領地であったようで、瓜連城合戦などで佐竹氏家臣として参戦、そのためか、常陸太田市花房町にはこの頃移住したとされる石崎姓の住民が数多くいる。戦国期は位置的に、水戸の江戸氏の領地であった可能性がある。城は、この頃に江戸氏の砦として築城されたのかもしれない。 所在地
縄張図 縄張図内①、城跡内部の様子。
図内①から見た、館ノ山古墳の様子。
図内③から①を見た、西側土塁の様子。結構な高さがあります。
図内④から③を見た、堀底からの様子。
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