|
涸沼を望む低地との比高約15mの石崎台地先端部にある。所在地は、茨城町上石崎字登城(とじょう)という。現在、城の中央を県道50号が貫通し、他は畑地や山林だが、周囲はヤブ化している。
周囲は高さ鋭い角度の切岸が周囲を巡り、西側には幅約7mの堀切跡が畑となって残っている。この延長と思われる平場が、県道を挟んで対岸の山林内にあり、ここには虎口とそれに伴う土塁跡も残っている。しかし、全体的に遺構の残存状況は悪い。 台地南側下の集落のご老人に話を伺うも、ここに城があったことは、聞いたことが無いとのこと。複数の住人に聞いていても同じであった。ただし、登城という地名から、何かしらあったのであろうと疑問には感じているようである。残る遺構から旧状を想像すると、東側に築城されている石崎城とよく似た雰囲気を持っていることが分かる。立地条件も全く同じであり、同じ時期に同じ人物によって築城されたのかもしれない。すぐ南西側にある「船渡(ふなど)」という地名から、渡しを監視していた可能性もあるかもしれない。 この地は、常陸平氏の石崎氏が治めたとされ、1300年代の南北朝期から長い間は佐竹氏の領地であったようで、戦国期は位置的に、水戸の江戸氏の領地であった可能性がある。城は、この頃に江戸氏の砦として築城されたのかもしれない。 所在地
縄張図
県道50号上石崎十字路から見た、南からの遠景。
縄張図内①から北を見た、西側堀跡の様子。
図内②、西側から見た、城跡内部の様子。画像左端に県道50号がある。
図内③、北側平場と切岸の様子。
|
全体表示
[ リスト ]





