Pの、遺跡侵攻記

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舞鶴城(常陸太田城)

投稿できるので、ちょっと再開。

とはいえ、これが城館跡の紹介としては当ブログ最後の物件となります。

最後はやはりここ、言わずと知れた常陸の殿様”佐竹氏”のご自宅「舞鶴城(常陸太田城)」です。

所在地は常陸太田市中城町字中城(なかじょう)という。

 舞鶴城は、佐竹氏の居城として代々形作られてきたが、転機となったのは室町初頭の代替わりであろう。
この頃、藤原一族上杉の竜保丸が跡を継ぎ、名を義人と改め居城したが、自分達(上杉流とは言い過ぎか・・・)の心情に合致しない現状の城に代わってこの地に新規に築城したものと思われる。展望が思ったほど良くない場所にあるのはそのためであろう。基本的には方形単郭で、周囲に土塁と堀を地形にやや合わせる形で巡らせ、このうち北東角の土塁上には、鬼門除けのために若宮八幡宮を設置、同時に稲荷神社も祭ったのかもしれない。また、室町末期に至り、家臣・一族・重鎮といった人物の屋敷が周囲に築かれ、防御を厚くしていったものと思われるが、度々、同族や、末期には伊達・岩城・相馬といった奥州勢力によって攻め込まれるなど、防御力の低さは否めず、そのたびに山奥の砦や那珂川の外といった力が及びにくい場所へ避難していたようである。
 戦国期になり、奥州勢侵攻での教訓、また、下野などの外国勢も力を付けてきたこともあって、本郭東には幅13間(約23m)、他の方角も幅約15mの堀に改めるなど、大規模にほとんど新規築城といっていいほど改修が行われ、現在見られる姿に近い形になったようである(築城者は義篤と思われる)。
 慶長7年の秋田へ移住に伴い、この城は廃城となってしまった。それから約100年後の1700年代になり、水戸藩重鎮の中山備前守によって陣屋が設置されたさいに荒れ果てたこの城を用いている。しかしそれはあくまで本郭のみであり、100年の年月の間に本郭以外の部分は残っている箇所も多かったが耕作や、中山氏による町の整備などによって周囲の遺構はつぶされた部分もあり、だいぶ旧状とは違っていたのかもしれない。このうちの一つが若宮八幡宮で、水戸藩時代に南の堀を埋め立てて現在地に建て直したことが「常陸太田市史」に書かれている。
 明治・大正のころに更に宅地が進んだが、大正の頃まで本郭の土塁や堀はよく残っていたらしく、史跡公園化して保存しようとする動きが見られたらしい。だが、結局は立ち消えてしまったようである。昭和になり、たばこ産業をはじめとする元の郭区画を無視する開発が加速、旧状がよく分からないほどになってしまった。
 現在、この城内の開発の余地が無いほど飽和状態であるが、旧たばこ産業跡地が将来的に「若者向け定住促進住宅地」として開発が計画中で、それに伴う発掘調査がごく一部の大変狭い区画で9月30日まで実施中である。


室町末期の想像縄張図
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戦国末期の想像縄張図。水色線は、8月31日時点での発掘で検出された堀跡。
イメージ 2

戦国図内A、若宮八幡脇の堀跡。堀の出口部分に当たる。
イメージ 3

戦国図内B、本郭北側の堀跡。道の左寄りに堀があったようである。
イメージ 4

発掘調査で出てきた堀跡。本郭のものではない。
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佐竹紋こと「五本骨扇に月丸」があしらわれたお菓子。
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拡大。天神林町の祭りで購入しましたが、もっと市で大々的に売ればいいのにと。
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長い間、ありがとうございました。


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