Pの、遺跡侵攻記

自分の趣味を紹介するブログのつもりです。

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

中根長者屋敷

常磐自動車道”千代田・石岡IC”から南西に約590mの地点に江戸末期に建てられた浄土真宗・住西寺(おうさいじ)というお寺がある。このお寺の境内が”中根長者屋敷”の跡で、かすみがうら市(旧千代田町)下土田字平当という。

東を流れる恋瀬川の支流”天の川”の2本の支流の合流地点にある低地との比高約20mの台地先端部にあり、2本の河川が流れる深い谷津に挟まれ、台地周囲は急斜面となっている。

「新編常陸国誌」によると、各地に点在する長者屋敷と同様に、古代の長者様の屋敷跡であろうとし、ここには「スクボ塚」や「朝業堀」と呼ばれる遺構が残ると書かれている。

「かすみがうら市HP」によると、天正年間(1573〜1591)に中根与衛門という豪族がおり、佐竹氏から軍用金の徴用を受けた時、「元来小田氏の庇護を受けている者。佐竹氏のために軍用金を用立てる理由はない」と拒絶したため、佐竹氏に亡ぼされたと伝えられたというような伝承があるそうだ。

広さ南北約90m×東西約80mほどの方形単郭の館跡で、郭内はお寺や墓地、宅地等となっている。住西寺の北から反時計回りに南東にかけて、幅約3〜4mほどの堀が、高さ約1m程度の土塁を伴って巡っている。この堀は埋まっているためなのか、深さが最大でも1mちょっとしかなく、本来はもっと深かったのかもしれない。また、土塁も西から南にかけてはある程度残っているが、大部分は崩されてしまったようである。

全体の造りを見ると、戦を意識した造りとは思えず、周囲を通っていたであろう街道の監視も兼ねた居館・屋敷跡といった感じで、HP掲載の戦国期の屋敷伝承が一番しっくりくるような気がする。

画像は上から所在地、縄張図、東から見た遠景。
4番目=縄張図内①から北東を見た、堀内部と土塁の様子。
5番目=図内②から南東を見た、北側の境界付近に様子。
6番目=図内③から南東を見た、南側堀内部の様子。
イメージ 1
イメージ 2
イメージ 3
イメージ 4
イメージ 5
イメージ 6

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

再開そして 告知

イメージ 1

イメージ 2

茨城城郭研究会による新刊2冊。

発売中です。



すでにあちらこちらで紹介されていますが、今から約10年ほど前に出版された


「図説:茨城の城郭」


自分もかつて購入し、これを見ながらいろいろ巡った辞書のような、そんな書籍でしたが、

実物に関しては残念ながら現在は入手不可能と呼んで差し支えないほど入手困難な本でした。

その改訂版がこの夏出版されます。

誤字・脱字といった細かい修正のほか、カバーが「国安城」から「つくば多気山城」に変更、国安城や笠

間城ほか多数の縄張図の更新など、大きく中身に変更を加えて、生まれ変わりました。



そして、この本の続編となる


「続 図説:茨城の城郭」


「図説:茨城の城郭(改訂版)」では142箇所、そして今回の「続 図説:茨城の城郭」では新たに2

09箇所の城館跡を新掲載。

有名どころではなく、まったく知られていない場所ばかりなので、前書以上に”人を選ぶ本”になってい

ますが、これを見ながら改めて地域を巡るのもいいのではないでしょうか?



国書刊行会URL=http://www.kokusho.co.jp/np/result.html?writer_id=30011

開く コメント(2)

開く トラックバック(0)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

プレミアムバンダイで予約していたプラモデル、HGUCクロスボーンガンダムX3の2月発送分がそろそろ届くのでしょうか。

自分は2次予約の3月発送分を注文しました。

楽しみですね。


しかし、実は2015年9月ごろ、既発売のクロスボーンX1のプラモを改造して作っちゃってたりします。

ビルドファイターの影響?もあってか、このころ結構勢いでいろいろ作ったんです。

以前紹介したガンイージもこの前年だったかな。


そこで、ちょっと紹介(自慢?)させて頂きます。


使用キットはHGUCクロスボーンガンダムX1に、HGBFクロスボーンフルクロス、HGFCシャイニングガンダムです。

基本的には劇中通り?に、X1のままで細かい違いの部分を作ることになります。


頭部アンテナ=形状はX1のまま、塗り分けの境界をナイフで掘り込んだのみ。

アンテナ中央の額パーツ=形状はX1のままで、X1ではドクロレリーフが付いていた穴を埋め、0.5ミリプラ板で「3」のマークを作ります。小さいです。

胸部コクピットカバー=フルクロスのパーツそのまま、ガトリングがある眼窩内部をピンバイスで穴開け。

腕カバー(Iフィールド発生器)=たぶん、想像した人が多そうなシャイニングガンダムの腕カバーを使用。ですが、まったく形状が違います。なので、実際にクロスボーンの腕の大きさ、そしてマスターグレードX3の腕カバーの形状とを比較しながら、その形にニッパーで切り飛ばしちゃいます。その後は、シャイニング本来のモールドが消えるまで、X3のちょっと平面的なカバー表面になるまで、ナイフや棒ヤスリで削りまくって形を整えます。

腕カバーの腕への接続は、X1のブランドマーカー(ビームシールド)のアームパーツをそのまま使用。というか、ビーム発生器が差し替え、アームのみ可動するというパーツ構成って今思うと、X3の発売を見越してのものだったんでしょうかね。

カバー内部というか、腕側内部には市販パーツでそれっぽく作りこみ。

形状変更は大体こんな感じで、色について基本色のブルーは、ガイアノーツのVRカラー景清風ブルーを使用。


今更な改造記事ですね、ほんとに。


画像は上から腕カバー部分の刷り合わせ→改造→改造後の順。
4枚目=カバー内部というより、腕側内部。
5〜6枚目=頭部アンテナ中央パーツの「3」の加工の様子。
一番下=大雑把に、完成。

開く コメント(0)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

先月の11月21日にバンダイより発売した、144分1スケールHGUCシリーズ”Vガンダム”を購入、それから昨日までのほぼ2週間ぶっ通しで改造し続け、ようやく完成いたしました。

これが何かというと、93年放映の”機動戦士Vガンダム”の中に登場する主人公機のガンダム、その量産型に当たる機体で、名前を”ガンイージ”といい、変形合体といった特殊機構が無い代わりに、無駄をそぎ落としたバランス型、シンプルイズベストを地でいくMSで、所属部隊のせいでパイロットのほとんどが女性っていうのも話題となり、デザイン共々結構な人気の機体です。

当時、コレクションシリーズとして144分1スケールで発売されたものの店頭からは姿を消し、ここ1年ちょっとの間に再販となったものです。また、HGUCシリーズという新しいシリーズで主人公機”Vガンダム”が発売されるという情報を得た直後にそのガンイージのキットを改めて購入し、どうせ発売されないだろうという思いから、2つのキットを合わせて造ってしまおうと考えていました。

なんとかなるかと思いきや、まず、元々この2機種をデザインされた方がそれぞれ違うということを忘れていたため、元にした素体のガンダムが”関節部・パーツはめ合わせ用のピン及びその受け穴”程度しか残らなかったです。
また、ガンダムの関節部等を若干削りこんで調整するだけで、以外にも旧キットの外装パーツがスポッとはまったのには驚きました。
そのためか、ほとんど外装パーツの干渉を受けずに一部Vガンダム以上に可動範囲が広がってます。

ガンダムを同程度に動かせて遊べればいいというのが目標でもあったので、一応塗装はしていますが、全体的に色ムラがあったり、塗装すらしていない箇所があったり、また、合わせ目の削りこみもしていなかったりしますが、自分としては結構、満足いく出来かななんて思ってたり。

これで来年以降に発売決定とかなったりすると、ちょっと悲しくなっちゃうかも。

まあ、買いますが……


上から3枚目の画像で、左に写ってるのが元キットのHGUCヴィクトリーガンダム。

開く コメント(0)

弥彦・桔梗城

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

今回は初めての日本海側の、そして新潟県の城館跡の紹介です。

新潟県の日本海に面した中央部やや北よりにある有名な観光名所”弥彦神社”であるが、その神社の東側の”競輪第1駐車場”や県道を挟んで台地が向かい合っている。この台地上には現在”弥彦総合文化会館”が建てられているが、これよりも更に東奥に中世城館”桔梗城”が築かれている。所在地は新潟県西蒲原郡弥彦村字荒城という。

この城跡は現在は城山森林公園として整備され、上記の弥彦総合文化会館の他、広場がいくつか設けられ、散策路が何本も設けられていて、各所に案内板が設置されている。ところが、この案内板に書かれていない道もあるようで、以外に分かり辛くて迷いやすい。
管理人が訪れたこの日も、時間が無かったために早歩き状態だったためか迷ってしまった。一番早いルートは、神社から階段を登ってきて弥彦総合文化会館南前の舗装道を通り抜けると”陽だまり広場”という場所に出る。この広場入り口と先の道路との間に細い山道が登って行っているので、これを登って延々と尾根を伝っていけば城址に行ける。しかし、史跡公園、散策路等に整備といっても最近はあまり手を入れているようには見えず、この日は10月初めで気温も高めということもあってか、以外に下草が多く、道は足を一歩踏み出すだけで小さなカエル達が無数に跳ねていき、また、ニョロニョロさんが待ち伏せしている状態であった。
そのため、あまり隅々まで散策出来なかったのが心残りである。

弥彦神社東側にある台地の一部が突き出した形の先端部、東から北にかけて広大な水田地帯が広がり、南側も低地から続く谷津が入り込んだ低地との比高約80m、弥彦神社との比高は約30mほどの要害の地形に築かれている。主郭部には三角点が設置されていて、標高86.2mを示している。

先の入り口を登ってくると最初に”城山平”と案内板に記された場所に出る。といっても特に遺構らしきものが見当たらない楕円形状のピークで、一応は平坦にはなっているので城の後方監視の役目があったのかもしれない。それを過ぎて鞍部を越えるとやがて堀切靴肪り着く。
堀切靴蓮幅約5m×深さ約2m程度で北側のみ竪堀が伴っているが、南側は散策路となってしまっている。ここを越えて約15mほど進むと堀切靴汎欝模の堀切兇ある。ここも本来は両脇に竪堀を伴っていたようである。
堀切兇らは南北に道が付けられているが、両方とも郭気亮囲を巡って郭掬貘Δ遼拈抬気箸隆屬寮擇蠶未靴嚢舂する。
この両方の小道は現在は散策路であるが、かつては帯曲輪であったのかもしれない。合流したところから西に登ると郭気貌る。
郭気蝋さ約50m×約7mほどと非常に細長くカーブした形となっていて、内部は平坦で案内板と古びたベンチが設置され、東側に一段低く平坦地がある以外は土塁もなにも無い。
道の合流地点から東に登ると郭兇ある。ここは広さ約40m四方程度の四角形状で、やはり土塁等は見当たらない。東側に一段低く幅約5mほどの平坦地があり、そこから東側斜面にかけて帯曲輪が何段か設けられている。
このほかにも周囲の斜面部にはいくつか平坦地があるようなのだが、残念ながら時間切れで見ることは叶わなかった。

ところで、騎圓鉢恭坿屬遼拈擇覆里世、多くのブログやHP等ではこの散策路切り通しの部分を堀切としているようであるが、よく見てみると切り通しと恭圓隆屬療个蠍に土塁と切れ込みがあり、しかも両脇斜面部には深い竪堀が伴っている。どうもこの切り通しは散策路を設置する際に大きく削り取ったように感じ、切り通し脇に残る溝が堀切気箸いΥ兇犬する。

遺構としては以上で、土塁や横堀を持たない以外に古さを感じさせる造りで、茨城県北部の国安城や美和村地区等の南北朝期頃の山城を思わせる感じである。

歴史としては当村HPに掲載されていたものを以下に載せておく。

平安時代天喜年間(1050年代)源頼光の一族であった弥彦庄司吉川宗方がこの城を築き、康平6年(1063)黒鳥兵衛の乱を防いだと伝えられているが、弥彦神社自衛のために早くからここに簡単な塁を築いたのが始まりであろう。
戦国期に至り、城主黒田秀忠は長尾景虎に抗して自殺し、その後は黒滝城主山岸秀能の支配となった。
慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封により廃城となった。
<以上、弥彦村HPより転載>

東側の燕市一帯を一望できる位置にあり、弥彦神社やその周囲の村落の物見・防衛ということもあったのだろうが、後には黒滝城の支城の一つに落ち着いたのかもしれない。

画像は上から所在地、縄張図の順。

3番目の画像は、縄張図内 郭菊睇瑤鯏貘Δら見たところ。

4番目のは、図内◆郭兇ら見た堀切気陵融辧2菫手前が推定堀切(着色部分)、奥が切り通し散策路。

5番目と6番目はそれぞれ、図内の堀切(右手が主郭側)、い亘拈抬(奥が主郭)の様子。

一番下の画像は、図内ァ⇒曚世泙蟾場脇にある入り口。

開く コメント(0)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事