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水戸市西部の藤井町内を抜ける国道123号、城里町に入る手前にある”水戸ニュータウン入口信号”から、北西に約820mの位置。北側には水戸ニュータウンが立地する、八幡太郎義家の軍勢駐屯地伝説がある”十万原”が広がり、そこから徐々に高度を下げながら、ちょうど東に”那珂西城”を望む位置に台地が突き出している。この台地先端が”藤井小屋城”の跡で、所在地は水戸市藤井町字小屋という。
近世資料の「水府史料(茨城県史料 近世地誌編内)」によると、
「増井組 藤井村 小屋まい=佐竹義篤の時、下那珂西の坂上かきあげ普請の時、小屋をかけたる所」 と書かれている。
これ以外に資料が無く、また、地元伝承等も伝わっていないようであり、詳しいことは不明。水府史料の記述を信じれば、戦国期に当時の領主である佐竹義篤によって、向かい側にある那珂西城の改修に際して築かれた同城の西を監視する物見だったのかもしれない。 北から西へ流れる、藤井川の支流”西田川”とその低地の南側の、比高約10mの台地先端を利用して築かれている。この、低地に面した北から東にかけては急斜面となる。
先端に広さ約60m・30m×約50mの台形状のⅠ郭があり、周囲を高さ約20センチ〜1.5mの土塁を巡らせている。内部は段差が見られるがほぼ平坦である。この西側外を取り囲むようにⅡ郭がある。 Ⅱ郭は細長く、西側基部側に高さ最大約2mの立派な土塁が盛られており、中央部には横矢がかけられ、虎口も開けられている。その外側約3m下には、土塁に沿って幅約4mの堀が巡っているが、埋まっているためかかなり浅くなっている。 Ⅰ郭東下にも、同規模の堀が設けられている。 また、南東に、溜池らしき場所があるが、字小屋地名から離れてしまうので、ここは城域外とみていいようである。 遺構としては以上で、約100m四方程度の広さの小規模な城館跡で、案外、水府史料の記述そのままなのかもしれない。だが、横矢がかけられた堀や土塁など、小さいながらも見ごたえある遺構だと思います。
(2018年3月4日訪問)
画像は上から所在地、北から見た遠景、縄張図の順。 4番目=縄張図内①から南東方向を見た、土塁の折れの部分。画像中央より少し左手に虎口が映っています。
5番目=図内②から北西方向を見た、Ⅱ郭外側の堀と土塁。 6番目=図内②から、南東方向を見た、溜池の様子。 |
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2018年03月23日
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