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磯部出丸から、谷津を挟んで西側にあるのが宮部出丸と呼ばれる砦跡である。所在地は、石岡市若宮2丁目字宮部(みやべ)という。
宮部出丸は、磯部出丸同様に低地との比高約10mの台地先端部に位置し、現在台地上は不動院境内及び墓地となっている。台地南側は、この寺院建設に際してかなり削っている可能性があるが、台地の最東端部を最高所とし、その周囲に削平が甘いながらも帯曲輪状の平場が見られるほか、西側基部側に谷津から繋がる堀跡らしき地形があるがこれらも、遺構なのかははっきりしない。
府中は古代平安時代からの常陸中心地であり、都から役人が赴任、移住していたことが知られている。そして移住後しばらくして、中世へ至る中で役人たちは職名であったり役職でのあだ名を苗字としており、そのうちの1例が大掾氏である。大部分は古代から中世の時点で断絶してしまったようだが、中には大掾氏から養子を迎えるなどして存続した「中丸・香丸・弓削・健児所・中宮部・税所」という6家あって、それらを「府中6名家」と呼ぶという。宮部地区は、そのうちの1家の「中宮部」氏に関係した土地とも云われる。肝心の中宮部氏は、上記のように中世あるいは古代の段階で滅んでしまったのかもしれない。
縄張図
縄張図内①から見た、参道及び山門
縄張図内②、山門の様子
縄張図内③、本堂裏の斜面。後世のものだろうか。
縄張図内④、本堂裏の墓地脇にある斜面と平場。台地上も改変が激しい。
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2019年05月30日
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