Pの、遺跡侵攻記

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2019年06月

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 常磐線石岡駅の南西にある石岡プラザホテルから、その西の華園寺までの住宅地一帯約130m×約90mの範囲辺りが弓削屋敷の跡である。所在地は石岡市国府1丁目〜2丁目字室ヶ井(むろがい)という。
 弓削屋敷は、慶長年間より昭和の最初の頃まで存続した税所(さいしょ)氏の屋敷跡として知られ、近世に住んでいた税所門弥という人物にちなみ、地元では「もんや様」という呼び名で長く呼ばれ続け、この土地の有力者及びその屋敷として存続していたという。上記の通り、税所氏が住んだのは慶長年間からで、それ以前は、古代から続く府中6名家の1家「弓削氏(ゆげ)」の屋敷であり、中世を通して大掾氏の家臣として仕えたが、天正14年の江戸氏による竹原城の攻防で「竹原のゆけの小屋打落し」の出来事(「烟田旧記」より、弓削氏が守っていた小屋という意味?=弓削砦)、天正18年の佐竹氏による府中城侵攻などによって、天正年間で弓削氏は滅んでしまったという。
 遺構だが、東を流れる山王川から続く深い谷津が南北に入り込み、それらを天然の堀とし、また、敷地の大部分は住宅地となって隠滅・消滅してしまったが、かつては敷地の周囲を土塁が取り巻き、南から東、北へ堀を巡らせていたという。このうち、東側に設けられた堀は道路となった今も残っており、唯一明確な遺構と言える。
 
なお、一族かどうかは不明だが単純に弓削という苗字としては、古代から現在まで、茨城県に残る唯一の6名家の名称のようである。

縄張図
イメージ 1

「石岡の地名」内、天保年間 府中町絵図の一部。
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縄張図内①、屋敷内にある稲荷神社。
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縄張図内②から南を見た、屋敷跡東の堀跡。
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縄張図内③から南を見た、屋敷跡南側の谷津田跡。
イメージ 5

府中城 香丸屋敷

 府中城Ⅲ郭の市民会館の北東に、照光寺というお寺がある。南北朝期の応安年間開基と云われ、浄土宗 雷電山西光院照光寺といい、この境内は香丸屋敷の跡でもあるという。所在地は、石岡市府中2丁目字土橋(つちばし)という。
 香丸屋敷(こうまるやしき)は、すぐ東隣の国道355号沿いの商店街がある字香丸の地名由来でもある、「府中6名家」の1家「香丸氏」の居所であるとされる。
 香丸氏は、大中臣守綱という人物が香丸氏を名乗ったことに始まるとされるが、詳しいことはよく分かっていない。後に大掾家臣として仕え、天正年間にこの照光寺に住んでいた資料があるようで、それを最後に地区で名前が見られなくなったようである。天正18年の佐竹氏による府中城侵攻によって滅んでしまったのかもしれない。なお、照光寺北側に隣接した本浄寺も天正年間に焼失したと伝えらえている。
 遺構としては、特に土塁や堀といったものが残っているわけではないが、周囲の住宅地よりも2段ほど高い土地にあり(本浄寺は1段目)、特に墓地が広がる西側を中心に鋭さなどは無いが斜面などが見られる。その周囲は、府中城周囲の谷津を利用した堀と繋がる堀等が取り巻いていたのかもしれない。府中城北東の出城として機能したものと思われる。

縄張図
イメージ 1

図内①、照光寺本堂
イメージ 2

図内②から見た、本堂裏手。墓地より1段高い土地にある。
イメージ 3

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