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ブログ移行しました。
15年ほど前に、YAHOOのゲオシティーズの有料ページでHPを作成していたのですが、数ヶ月前に「来年(2019年3月)でサービス終了しますので、ご利用者の皆様は各自HPの移行をお願いします」と一方的な通知。時代の流れとはいえ、この移行作業がまた面倒で困っています。有料サービスを一方的に中止するのだから、何か1ステップで移行が完了するようなサービスでも用意してくれれば良いものをと恨み節を唱えたくなります。

だいたい、YAHOOというか、ソフトバンクの商品はこの手のたぐいが多いと思います。友達が、格安でADSLを利用出来ます、3ヶ月間は千円台で利用可、とのうたい文句で契約したのですが、、なんとその他の付帯契約が多くて(それもセキュリティだの、医療アドバイスだの、余計なものが付帯していて)それを契約から除外するのに、
サービスセンターに電話したところ、オンラインでご自分でやって下さいとのことで、結局、私のところへその解除依頼が来ました。パスワードを聞いて、友達に成り代わって付帯契約分を解除しましたが、これがまた一苦労でした。もし事情が分からず契約継続していたら、千円代どころか、5千円以上毎月支払う形となります。それも何の必要性もないものが契約継続の形になるのですよ。

だいたい、ソフトバンクの分は安かろう悪かろうが多い、あくまで主観ですが、友達とかの評判を聞いているとそう思いますし、先ほどの一件でも同様です。これからは極力使いたくないです。

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私は2018年(H30年)10月下旬に、肝細胞ガン(B型肝炎起因)にて妻を亡くしました。その際、最期は在宅医療にて自宅で看取ることができました。これもひとえに、在宅医療、看護を支えて下さいました医療介護チームの皆様のおかげと心より感謝しております。謝意に代え、お世話になった関係者の皆様をご紹介します。私と同様の立場にある皆さんは、決して一人だけ、家族だけで頑張ろうとはせずに、積極的に専門家の協力を仰いで下さい。
 
1.在宅医療・看護・介護関係先
(1) 在宅医療専門医=浅川学園台在宅クリニック (院長:河野(かわの)先生)
    北九州市八幡西区浅川学園台2-11-13   093-600-717
(2) 訪問看護ステーション=すずらん訪問看護ステーション (管理者:中原看護士)
    福岡県遠賀郡水巻町吉田南二丁目5-22  093-203-1221
(3) 介護・ケアマネージャー=ヘルパーーステーション・ハッピーハウス
     (担当ケアマネージャー:介護福祉士 政時様)
    北九州市八幡西区浅川町1番21号  093-695-4407
(4) 在宅支援薬局=古前薬局 (薬剤師:崎田様)
    北九州市若松区古前1-12-7  093-761-3222
(5) 福祉用具レンタル等=(株)こまち (介護福祉士:西村様)
    福岡県中間市中鶴1丁目11-6  093-701-7778
(6) 在宅訪問入浴サービス=アサヒクリーン在宅介護センター八幡西
    北九州市八幡西区竹末1-14-10塚本ビル1階1号室  093-641-1158
    (訪問入浴オペレーター;山内様)
 
末期ガンであれば、葬儀のことは避けて通れません。
いざ、その時が来た時には慌ててしまいがちです。
最初にやるべきことは火葬場を確保することです。それには葬儀社への依頼が欠かせません。
あらかじめ決めておいた場合は問題ありませんが、まず、葬儀社に一報入れて火葬場を確保すべきです。
私がお世話になった葬儀社は以下の会社です。小さな葬儀社ですが、それだけに親身に対応していただき大変助かりました。
 
2,葬儀社
(1) 葬儀社=(有)公益社 (葬祭ディレクター:瀧口様)
   総合受付 093-245-0204
      

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先月19日、末期ガンの女房を在宅で看取った夫として、興味深く番組を見ている。途中から番組に気づいたし、途中風呂にも入ったので全編を見通しているわけではないが、感じたことを列記してみたい。
 
・在宅死は本人にとっては望ましくとも介護に携(たずさ)わる家族の負担は想像以上に大きい。
 家族にあっても、最初はその気でやるが、長期にわたればわたるほど精神的、肉体的に疲弊する
・専門サービスを積極的に活用すべきだ。
 在宅医療専門医、在宅看護専門ステーション、ヘルパー派遣会社、在宅入浴専門サービス、
 在宅投薬指導専任薬局、福祉器具専門会社等々、それらを束ねてくれるのはケアマネージャー、
 このケアマネの存在、重要性は語り尽くせない
 (ケアマネが頼りない、話が合わないと感じたら、家族は積極的に他者を捜すべきだ)
・死にゆく家族の最期は自分が面倒見る、その覚悟は良いが、自分だけ(家族だけ)で背負おうとすると結局病人と共倒れする。早期に専門サービスを行う機関に相談して、負担を減らすべき。
・番組中、介護環境が(専門サービスを受けるために)変化したことに不満を漏らすおばあちゃんの映像を見た。もっともな気持ちだろうとは察するが、介護する側の条件からやむを得ないと思う。何もかも理想的にはいかない。
・死に行く人に「がんばれ」とは言うな、と言いたい。本人はすでに充分頑張った、むしろ本人がどうしたら安らかに旅立てるか、その方法、言葉はそれぞれの家族、愛する人が考えればよい。
・最も親しい人がその死に気づき、看取ることが出来れば幸いだ。私も同じだった、広美さん、良かったね。
 
・・・・以降、追記するかもしれません。  2018.11.6 20:30記す

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女房が亡くなってから約2週間が経ちました。まだまだ何かと忙しく整理すべきことが多くあります。人生の一区切り、こんなものを残しておいても良いでしょうと思い、書き記します。
 
2018年10月21日、晴天の秋空のもと、女房の葬儀が無事終了しました。
(10月19日午後10時57分 肝細胞ガンにより死去)
教会で詠んだ挨拶を掲載させて頂きます。(日本キリスト教団八幡西教会にて葬儀式)
 
妻・杉本末子(すえこ)は、その不自由な体にも関わらず、妻として母として、31年間の結婚生活、58年の生涯を精一杯、一生懸命に生き抜きました。私は夫として苦労はしましたが、まったく後悔はしておりません。むしろ、二人で貴重な人生を共に歩むことが出来ましたことを神に感謝しております。結婚生活において、体の不自由なこと、体の障害は障害ではありません。妻はイエス・キリストを主と告白する信仰を告白することはありませんでした。しかし、聖書には「あなたが救われれば、あなたもあなたの家族も救われます」とはっきり書かれています。私はこの御言葉を信じ、この御言葉にすべてを委(ゆだね)、妻が既に天国へと迎えられたことを信じます。教会の皆様はご存じでしょう、フットポイント、足跡という詩があります。ある人が浜辺を歩いた足跡が、4つ続いていた、しかし、あるところでは、それが2つになっていた。4つの足跡は、人生を共に歩いて下さったキリストと男の足跡であった、2つの足跡のところは、その男が人生で一番苦しい時のものであった。そこで男は神に訴えて言った。「私の人生の一番苦しい時に、なぜあなたは共におられず、私を見放していたのか」と。キリストは答えて言った「その足跡は、おまえの足跡ではない、それはおまえを背負って歩いた私の足跡だ」
妻と私の出会いのきっかけは妻が書いた「神さま一日だけ」という詩でした。その詩は「神さま一日だけ私に歩ける足を下さい」という言葉で書き出されていました。神は、妻に歩ける足は与えて下さいませんでした。しかし、私に「おまえがあの娘の足となれ」と出会いを与えられたのだと思います。これこそが、神が栄光を現すということです。旧約聖書のイザヤ書に「私は造った故に必ず負い、持ち運び、かつ救う」という御言葉があります。「主が与え主がとりたもう、主の御名はほむべきかな・・・・と、言ったところで、棺(ひつぎ)の中から妻が「お父さん、また興奮して、べらべらべらべらとしゃべりまくって、教会の人がまたうんざりしとうばい!(しているよ)」という声が聞こえてまいりましたので、これで葬儀礼拝のご挨拶を終えさせて頂きます。
 
 
末子の病状と晩年について
 
末子は元々母子感染によるB型肝炎のキャリア(保菌者)でした。肝硬変もしくは肝ガンへ移行しないように通院治療を続けておりましたが、5年くらい前に初めて肝ガンを発症し、最初は腹腔鏡手術にて除去、その後毎年のごとく再発し、ラジオ波焼却、血管造影(カテーテルによる抗ガン剤注入)の治療を続けて参りましたが、本年(H30.5)、それらの方法では対処出来ない位置にガンが見つかり、6月に再検査した際には、数えられるだけでも6カ所に急増しているとのことで、最後の頼みとして抗ガン剤投与を試みましたが副作用が強くすぐに断念しました。その後、8月初頭より腹部の痛みを訴え、8月末に済生会八幡病院にてCT検査をした際には腹水がたまり始めているためとの診断を受け、その後病状が悪化したため、9月1日より、在宅治療専門チームを結成、毎日の訪問看護(点滴他)、毎週の在宅専門医の診察を行って参りましたが、10月に入り腹水の量も多くなり、3回ほど腹水を抜く処置も行い、最期は医療麻薬も死亡当日に初めて投与しました。しかしながら、死亡当日午前中には在宅入浴を受け、死亡時も夫と息子が介護する中で、眠ったまま静かに息を引き取りました。本人はほとんど寝たきり状態となり(排泄、食事時のみかろうじて起き上がりましたが)苦しい日々であったことかと思いますが、耐えがたい苦痛を伴うことなく、家族に看取られて天国へ旅立てたことは幸いだったと思っております。
2018.11.5   夫 杉本光雄 記す
 
追記
昨日、女房が書いた「神さま一日だけ」の詩の中で詠われた「あなた」であるK氏が、私の留守中に弔問に訪れて下さいました。女房が一番喜んでいるはずです。

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女房が、朝のNHK連続ドラマ「まんぷく」の録画を見ているのを垣間見てふと思い出しました。
私の模型趣味友達で、Kさんがいます。今年の2月頃、もうすぐ退院するので退院したら連絡しますと電話をもらったのを最後に音信不通となりました。彼は、それ以前にも数回軽い脳梗塞で入院していましたから、どうしたのだろうと、携帯やPCメール、自宅宛にハガキを出しますが返事が途絶えてしまいました。彼のご家族は、数年前に同居されていたお母様が亡くなられて独居状態だったはずです。どうしたのだろうかと、入院先の病院に電話で問い合わせてみましたが、今は個人情報管理が厳しくなっているので、入院中か否かだけしかお答えできません、との病院側の回答で、「入院はなさっていません」との返答でした。他に問い合わせ先も知らないのでどうされたのだろうと思いながら時々メールやハガキを差し出していました。
 
5月頃でしょうか、Kさんが使っていたPCメールアドレスで、息子さんと言われる方から連絡がありました。「父は難病により遠方の病院に転院いたしました。このことはごく親しい近親者しか知りません。自分は父の居宅を処分するために久しぶりに実家に来ましたが、あなたのメールやハガキがたくさん届いていたので、ご連絡のみ差し上げますが、私の氏名他は公開出来ません。ご連絡もこれが最後となりますのでご了承下さい。」とのことでしたので、Kさんのその後は知るよしもありませんが、彼が数年前に受けた冤罪はKさんご自身から詳しく聞いていたので、今朝垣間見たNHKドラマを契機に、身近な一例としてご紹介します。
 
数年前、模型友達の別の方から、「今日の新聞に、Kさんが逮捕されたとの記事が出てましたがご存じですか?」とのことで、ネットニュースを検索すると確かにその通りでした。私は少し考えましたが(事の真相は知りませんが、犯罪者となる人とは関わりたくないというのが人情でしょう)、Kさんと私の関係は模型友達、仮に新聞報道が真実であったとしてもそれはそれ、彼との交流は模型という共通趣味であれば良いのであって、その他のプライベートの事情はあえて触れる必要もなかろう、彼とは気も合うし、それで良いと思い、彼の自宅宛その旨手紙を出しておきました。もし拘置所などから連絡が入ればそれはそれ、面会に行くつもりでした。
ところが、数週間後、彼の携帯電話から連絡が入りました。まぎれもなく彼の元気な声が聞こえてきました。びっくりして理由を聞いたところ、「いや〜参りましたよ、いきなり警察に、朝早く自宅に踏み込まれ、有無を言わせず連行されて、警察で取り調べを受けました。身に覚えのないことなので、知らないと答えるのですが全く信じてもらえず、そのうちに腹が立って興奮状態も極度に陥り、強烈な腹痛を覚えて取調官に訴えたのに嘘を言っていると信じてもらえず、結局あまりに苦痛の表情を見せるものだから警察病院に連れて行かれ、医師から腸捻転(ちょうねんてん)で、手遅れになるところだったと言われたそうです。その後、冤罪であることが判明し、昨日出所してきましたと笑って話されましたが、本当に大変な目に遭ったのです。
 
ことの真相はこうです。 彼は現在法律事務所の経営に関与しているそうなのですが、以前関わった事件で、担当検事の反感を買い、その検事が主導した見込み捜査でいきなり逮捕されたそうです。彼は、法律事務所を経営する前に、某コンビニを数店舗経営しており、その際、本部との間で詐欺疑惑が発生したとのことで本部から告発されたのですが、その真犯人は彼の別れた元妻とその親族の仕業であったことが判明し、彼の釈放につながったのだそうです。何とも酷い話ですが真実です。今朝のNHKドラマは戦時中の物語ですが、現代でもこのような冤罪、見込み捜査が行われ、このケースではいわば検事の私的怨恨による復讐犯罪ともいえるものだと思いました。彼も自分の法律事務所を通じて損害賠償と刑事訴訟を考えていると言っていましたが、その後の経緯は知りません。
 
この経験を通して得た教訓は、メディアの報道を安易に鵜呑みしてはいけない、もちろんその真相を知るよしもないことであっても、何も考えずに一方的に信じる、人を疑うことの危うさをヒシヒシと感じたものです。Kさんの報道が流れた際も、「そういえばKさんの言動はなんとなくそんな危うい気配があった」とか、客観性のないうわさや想像でものを言う人もいました。私は安易にそのような話に乗らなくて良かったと思いました。Kさんが釈放された後、ご存命だった母上様は「そんなふうに手紙をくれる友達などはざらにはいないよ、大切にしなさい」と言われたそうです。お母様とは直接顔を合わせたことはありません、ただ一度、Kさんのお宅を訪問した際に、障子の後ろからお茶を差し入れて下さったことだけを覚えています。

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