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以前読んだ、假屋崎省吾さんの著書で、「フラワーアレンジはお花単独で成立するものではなく、空間・音楽との総合芸術。」とありました。成程、と思いました。
昔父のビルのアルバイトに来られた受付嬢(とはいっても当時アラフォー)が、「未生流のお免状を持っている」という事で、お花はいつも私が活けていたのですが、たまにはエキスパートに任せてみようとお花と花器のチョイスも全て任せて活けて頂いたら、テーブルならともかく受付カウンターの上の細長い花器にまるで鶴が大きく羽根を広げたかのような活け方をされ、いつ人に当たって倒れるやらとハラハラし通しでした。しかし折角活けて頂いたのにすぐ活け直すのも気の毒に思い、一日我慢しましたが、さすがに受付カウンターの上にまるで床の間に飾るような活け方はスペースのバランスとして素人目にも不自然に感じました。
私はきちんと華道を学んだことがありませんからその人の感性に対して云々するつもりは毛頭ありませんが、ただ常識的にTPOとか実用的な状況判断まではお教室の中では学ばれなかったのかと疑問でした。
もしかしたら、基本的な活け方や型以外、応用とか状況判断に関してはその人個人の問題なのかも知れません。
誤解のないように言うと、お花単独で見れば、床の間に飾る分には型にきちんとはまっていて申し分ありません。
ところで何故華道とちんどん屋さんとが関係あるのかというと、“総合芸術”もしくは“複合芸術”という点にあります。
華道の場合は殆ど室内か、室外であっても固定された場所での空間芸術ですが、ちんどん屋さんがスゴイと思うのは、移動しながら場所も状況も客層も流動的に変化する中でのパフォーマンス。
室内で一所に座って考えながらお花を活けるというのとは違い、状況に応じて柔軟にパフォーマンスの内容を変えるのには、的確にして迅速な判断能力が問われます。(勿論演奏技術もですが。)
正直な話、主人と付き合っていた時に主人が大和高田のお祭りに連れて行ってくれるまで、ちんどん屋さんが現存するとは思っておりませんでした。
しかも、マスメディアが普及する以前の昭和レトロなイメージとは違い、若い方々が状況に応じてジャンルやスタイルを問わずに演奏されているそのパフォーミングの多様さに非常に驚かされました。(勿論古典もレパートリーとして演奏されますが。。。)
極端な事を申し上げれば、奇抜な格好をしてただ音を打ち鳴らせば良いというものではありません。
それはただの“雑音”であって、“演奏”ではありません。
同じ楽曲でも楽器編成を変えたり、状況に応じて演奏の仕方・音の出し方を変えてみたりと、かなりの熟練した技術と独創性と、場の空気を読みとって対応するセンスが必要です。
しかもミュージシャンを目指している人が路上でパフォーマンスをするのと決定的に違うのは、
飽くまで本来の目的は『広告宣伝業』であるという事です。
つまり、自分の演奏や音楽性を分かってくれる人、好んでくれる人だけ聞いてくれればいい、と自分のスタイルだけを打ち出せば良いという事ではなく、世代も立場も好みも不特定多数の通行人に訴えるという点で、これはかなり至難の業です。
ですから、ただ演奏がうまい、というだけではなしに、TPOや客層に合わせてネタのチョイスを行う、もしくは演じ分けをするという点で、かなり複雑な複合芸術という事です。
2007年に東京上野の水上音楽堂で開催された『チンドン博覧会』に、東京オリンピックの時代からチンドン屋さんをされている『菊之家』さんの親方(昨年御他界)が後進の世代にレクチャーをされていたのですが、その中の言葉は名言だと思い、印象深く残っております。
『夏は涼しやかに、冬は暖かく、商店街のお店の2階で赤ちゃんが寝ているかも知れないようなところでは音を和らげ、パチンコ屋さんなどでは活気の出るよう勇壮に、と音色を鳴らし分ける』
と指南されておりました。
なるほど、短順にメゾピアノ・ピアノ・フォルテ・メゾフォルテという区分だけではない訳ですネ☆
季節・天候・気温やロケーションに応じて音を鳴らし分ける。。。
演奏者自身が音に対して繊細な感性を持ち合わせていないと、できない事です。
恐らく、この辺が鈍感な方だと、この演じ分けには気づけないでしょう。(私も聴覚が卓抜している訳でも感性が繊細な訳でもないのでわかりませんが・・・。)
関西に居た頃、金沢から転勤してこられたおじさんのアクセントが顕著で非常に気になりました。
語尾に抑揚をつけて延ばされるのです。
初めの内は、関西への転勤に不満を抱いておられたそのおじさんが、金沢のアイデンティティを誇示したくてわざと強調されているのかな?位に思っておりました。
しかし、何日経っても何週間経ってもおさまらず、3ケ月位経って、後輩に「あの、語尾を“〜でェ〜ェ〜・・・”、っていうの、強調し過ぎじゃない?」と聞いたら
「え?そんなこと言ってます?普通ですヨ。」と、否定していたのが、暫くするとそのおじさんの
「〜でェ〜ェ〜。。。」というのが聴こえ、後輩が耳を澄ましてやっと聞き取れたらしく、「ホントだ!」と他の人達に自分発信のように言いふらして皆納得してました。
それよりもそのおじさんが赴任してきてから3ケ月も経つのに、人から言われて耳を澄まさなければ気付かない人達に驚きでした。
反対に私も、人には気づいていても自分には気づいていないこと、見えていても見過ごしている事が沢山あるのかも知れません。
それを1つ1つ知っていくと、自分の世界も広がるのかも知れません。
物の見方の角度を変えてみたり、色々な価値観を受け入れる寛容さと柔軟さが無ければ、仮にいくら海外旅行へ行こうと、色々な事を体験しようと、結局視野というのは広がらないのかも知れません。
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