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第2回クラリネットコンサートは先生の出演もあって、個々のレベルアップもはかれた上で幕を閉じることができた。
今度はちゃんと先輩を送る卒業式の奏楽も演奏し、私の中の「身近にいたベストプレーヤー」1・2を争う先輩方を見送ることもできた。
そして3回目の春を迎えた。
自分たちが幹部学年となった年度が始まったのである。
ところがこの年度、嵐のような年度であった・・・。
私は、書記局(名簿や新聞発行)・パンフ班(演奏会のパンフレット作成)・企画(演奏会のまとめ役といえる)という仕事をしていたのだが、まず春先に一山。
企画長をしていた男子が体調不良で、実家に療養のため帰ることとなり、一学年2人でやってた仕事が1人になり新入生勧誘を兼ねたスプリングコンサートはてんてこ舞いだった。しんどかったっす。
いよいよ新入生が入ってくると、沢山の新人が入ってきたのだが、これがまた・・・
バンコランのような男子のクラ吹きがはいったのだが、それ目当てで入ったとおぼしき人が沢山来て、音楽がどうだとかいう感じではなかったのだった。
またそのバンコランも合理的というと聞こえはいいのだが、めんどくさいことは苦手、努力もあまり・・・というタイプだったため、その雰囲気は伝播し、活動が盛んなこの部活に対して、対案や改善案もない不平不満が蔓延し始めていた。
一方そのころ、冬の定演が記念の年にあたっていたため、甲府でやろうということになり、ホールの抽選に私が行くこととなった。
並み居る競合者を相手に、気合一閃、引いたくじは見事当り!!
記念の定演は甲府での開催となった。・・・自分のためだけじゃなければ強運なんです。
そうこうしていくうちにコンクール前。詳細は語られなかったので不明だが、突然部長が辞めると言い出してしまった。部活の毒を吸いすぎたのか、それとも身から出たさびだったのか。前代未聞のことである。
もちろん、何回も何時間もやった学年での話し合いでは終止引き止めたのだがその意思は止められず、全部員を集めた場も設けたがそこでも止めることはできなかった。結局、初の部長退部を出してしまったのである。
非常に暗い雰囲気になってしまい、また1年生に慕われていた部長だっただけにその周辺はいっそうどんよりとした形になってしまい、コンクールを迎えることとなった。
低音の役目が満喫できる課題曲と、バリバリに木管低音がおいしい自由曲だったのだが、あろうことか自由曲の冒頭のバスクラソロを入り損ねてしまった。自分の精神的弱さに地団駄ふんだのは言うまでもない。
結局、これまた初だったと思うが、県代表になれなかったのである。
長い夏休みであった。
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はじめましてステキなブログですね♪私はブログ開設したばかりだけどよかったら遊びに来てください^^
2006/12/16(土) 午後 1:10 [ yuk*_*ana*i_ni*ki ]
ひょっとして、どーもも好きですか? 私は色気も金もないので楽しい話題といったらそれくらいしかないですが・・・お越しいただきありがとうございましたm(− −)m
2006/12/16(土) 午後 2:42 [ どもでん ]