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「一休」を2ヶ月かけて読み終えた。引用が多く、疲れる本であった。なぜ、一休が今になっても関心を集めるのか?
応仁の乱当時、あの騒然とした時代に、堕落した臨済禅を本来の姿に戻そうとしたとか、漢詩がうまいとか、大徳寺を復興させた、などが挙げられます。しかし、いちばん魅力のあるところは、正直に生きたことでしょうか。そして、己の欲するままに生きながら、同時に宗教者としての立場を共存させたことだ。
ともすれば、宗教は、厳しい戒律や質面倒くさい教義があって、現実の生活者とは遊離してしまっている面があります。一休は、人間の欲望や本能を肯定し、それを認めながら、なお宗教が必要であることを、身をもって示した、とも言える。
現実の生活では、自分の望み通り生きていると思っていることもあり、また他人と妥協しながら気詰まりを感じながら暮らしている時もある。いずれの場合にしても、自分の醜さやあさましさ、そして、空しさ、などなどを感じる折々があり、その際の精神の不安定さや心の空隙を埋めるものが必要だ。こういう日々を送っている一般の生活者にこそ、精神を安定させ、心を満たすもの、つまり宗教の存在する意味がある、と一休は言いたかったのだろう。
このことは、今読んでいる親鸞にも共通しているのではないか。比叡山で修行していた親鸞が、戒律や教義がこの生身の人間の生き方とはあまりにもかけ離れていることに疑問を抱き、山を降りて、あの当時邪宗とされた法然上人の門を叩いた。そして、妻帯肉食を認め、普通の人の生活しながら、宗教活動をする道を新たに作ったわけだ。
戒律や教義に忠実な修行者を見たり聞いたりする時、彼らの情熱に圧倒され、その病的な行動に辟易させられることもある。そして、普通の人の生活とは、無縁な活動であると思わざるを得ない。やはり、庶民と喜怒哀楽をともにして、その上に立った宗教があってもいいのではないか、と親鸞は思ったのではないか。ということは、親鸞も、また二百年後に生きた一休も、宗教は病的に悩む人々や人生を思いつめる人達のためにあるのではなく、ごく普通の人のためにあることを示した、と言えるかもしれない。
ところで、父親の葬儀は、浄土真宗の寺で行われた。お坊さんの奥さんは、乳飲み子を抱えて、葬儀の式場を作っていましたし、坊さんは息子の進学のことで悩んでいた。つまり、一般のお父さん、お母さんをしながら、お寺を経営し、布教をしているわけだ。あまりにも俗化している現状に、批判がないわけでもないであろうが、ここには、親鸞や一休の精神が、かすかに生き続けていることを感じるのだ。つまり、普通の生活者の宗教を‥。
堅田に、祥瑞寺という寺があるそうだ。ここは、はじめ禅興庵といって、一休が自殺未遂の後、華叟宗曇から教えを受けた所とされています。今度の休みに是非行ってみたいと思っているが、どうなることやら。
水上勉の本では、一休は生活費を稼ぐために、山を越えて、京都に出る必要があり、毎日のように往復した、と書かれていて、坂本から白河に出る最短距離の山中越えを、時に利用したなど、と述べていた。
堺の南宗寺も一休ゆかりの寺とされているが、そこには確かに行ったことがあるが、何もそんなことは、書いてなかったような気がする。もっともその頃は、あまり一休に興味がなかったから、見逃したのであろう。
以上、この一週間、ちょっと一休や親鸞のことを考えてみた。
平成11年7月23日
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