妻のところに源頼朝の娘とある。。。。。。
が、まさかそんな事はないであろう???
とりあえず、家系図がこれです。。。
読める書体なんでどの時代かに書き直されているようです。
ですが、かなり古い感じがします。
中身はというと
天正八年(1581年)没とあります。なので、生まれは明応六年(1497年)です。
1581年と言えば足利義明や織田信長の時代です。
本能寺の変の前の年ですね。
そして1497年は室町時代で幕府の将軍は足利家です。
他にも毛利元就などの活躍した時代です。
このあたりの出来事を検索しているとやはり細川家と畠山家とは深い関わりがあるようです。
そして他には
文字がにょろにょろしてるので、何の資料か判りませんが200年くらい前のものです。
その他にもまだまだ有りますが貼り付ける容量がないので次回に続く・・・・・^^
源頼朝か・・・・・・
つながりは判らないが
とても気になる。
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我が家の歴史
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現在残っている我が家の家宝といえばこれしかないのですが。
この鎧兜の真ん中の家紋左三つ巴が当家の家紋です。
そして、こちらは九曜紋といって九州の細川家の家紋で何か関係があったようです。
我が家は今から500年くらい前の記録や家系図は残ってるんですがそれ以前のものはありません。
以前は、槍や刀などが多数あったのですが、祖父と祖母が亡くなった時に
人を傷つける物を置いておくのは良くないとして処分しました。
で、残った鎧兜は先祖が守ってくれるものと信じ今も大切に保管しています。
過去をさかのぼると我が家は当家直系の長男筋できていることは事実のようです。
ちなみに私は次男なんで関係ありませんが・・・・・
我が家の先祖は織田信長に仕えていたという記録もあります。
それ以前の記録はありませんが、源頼朝の時代から氏家として家名が残っています。
調べていくと、どうやら平氏の分流で中村氏から改名して当家になったとウィキペディアに記載あり。
下のお城は岸和田城といって1408年(応永15年)細川頼長が和泉国の半守護となり城主となったのが
はじまりです。その後は羽柴秀吉によって統治されます。。。。
秀吉の時代には紀州征伐の際の一時期にはお城を預かっていた事もあったようです。
その後は、徳川の時代から最後の城主の岡部氏の時代まで側近として仕えていたようです。
摂津と紀州との境に位置しており、当時は海のそばに有ったとても小さなお城です。
ここに出てくる人物名のほとんどのが記録に残っています。
そしてなんやら私が小さな頃からあった木箱なんですが、この古めかしい箱の中に色んな書物が!
この箱の中のものは世間には未公開の書物が・・・・
次回へ続く・・・・・・
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