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物を捨てるという行為は何故かしら罪悪感を感じてしまうのは貧乏性なのかな。 だが、必要以上のモノを抱えているのは自分の生活空間を埋め尽くしてしまい、整理が追い付かない。 我が家の実家も母が高齢者住宅に居を移してから三年が経過。 実家を訪れる度に庭の掃除などをしているが、押し入れや物置にはモノが溢れている。 思い出深いものは仕方がないとしても、捨てて当然と思うような壊れたラジオなどの電気器具から決して履かないであろう靴、着ないであろう古着、見ないであろう書籍等々。 はっきり言って残されては始末に困るようなモノが所狭しと保存されている。 一番悩ましいのは30年ほど前に亡くなった父親の日記とコレクション。 残すべきか処分すべき、未だに悩んでいる。 そんなガラクタの中からワシ宛ての手紙束が出てきた。 ワシの記憶では、古い手紙は結婚した時に庭で焼き捨てたと思っていたが、学生時代に住んでいた福岡から引き揚げた際に運んだモノがそっくりそのまま残っていたのだな。 この件に関しては追々紹介するとして・・・ そんなこんなの状態ですので、時々実家に泊まり込み、古いモノの処分などをし、ゴミの収集日の朝に排出して帰ってきますが、なかなか捗らない。 また一日中ゴミの山と格闘するのも辛いものがありますので、時には自分の故郷の周辺を徘徊しております。 ワシが育ったところは和歌山市の中心部から少し南の閑静な住宅街。 家から西に700mほどで、南北1.5Kmほど、白砂青松の水軒浜と言うのがありまして、なにせ遠浅の綺麗な砂浜ですから漁師は地引網を引き、子供は投げ釣りに興じ、気の早いときには5月の終わりには海に飛び込んでいたように思う。 ワシが小学生や中学生の頃に海に行くと、衝動的に飛び込んでいたな。つまり水着なんてものは着ていなかった。 正式な水着は黒い褌の様なモノだったり、下着のパンツだけだったり、フリチンだったり・・・ これは決して男子だけではなく女子も同じように遊んでいた、まことにおおらかな光景であったように思う。まぁ中学生にもなれば一応水泳パンツを穿いていたようにも思うが・・・ そんな思い出を探しに出ようとしても、今はその砂浜も埋め立てられてしまい、面影は皆無。 だがその浜への道中に水軒川に架かる北橋というのがあり、先日そこを通りかかった時、そのあまりにも古い橋を見かけて、これは写真に撮っておかなければと思い、後日カメラを携えてその水軒川に架かる北橋を訪ねてみた。 その間わずか一週間ほどだったのですが、なんと橋の架け替え工事が始まっていた。 そこで慌てて撮影したのですが・・・ 川は決して綺麗な清流ではありませんが昔からボラの稚魚、イナが多い川でして、 それを狙って鳥たちも集まります。 で、問題の橋から我が家方面を眺めますと・・・ お判りいただけるかと思いますが・・・欄干の部分が木製です! 欄干の左側には「きたばし」と彫られ、右側には「昭和五十六年十二月竣工」とありましたので、ワシの記憶にある橋から一度架け替えられていたようです。 それにしても今時車も通行する橋に2トンと言う重量制限はきついよね。 橋の向こうに見える緑はその昔松林だったのですが、今は雑木林になっておりましたな。その向こうから聞こえていた潮騒が懐かしい。 またそこから眺める夕日は格別で、淡路島とその南側にある沼島、天気が良ければ四国の山々に沈む夕日と海面に映える残照。子供心にも響く情景でした。 郷愁に浸っていては進みません、さて、肝心の橋ですが・・・欄干の袂の橋柱の上部は見る影もなく朽ちておりましたな。 今工事して、出来上がるのは来年の3月だそうな。 こうして また和歌山の思い出のモノが消えてゆく。 トップは和歌山市のシンボルとも言える「伏虎城」 (和歌山城) を紹介しました。 これからオヤジのブログは懐古趣味的昔語りが増えるのだろうか?? |
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2011年11月07日
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