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最近よく耳にする言葉に、クラウド・コンピューティングもしくはクラウドと言うことばがある。 はて、何のこっちゃ? と思い調べてみたら、 従来はパッケージで購入したワープロや表計算などのアプリケーションソフトを自分のパソコンにインストールして利用していたが、これをすべてインターネットに接続して利用する仕組み。 「クラウド」は「雲」を意味し、インターネットを表現するのに「雲の形」にたとえることに由来している。 インターネットにつながる端末さえあれば、グーグルやマイクロソフトなどの企業が運営するデータセンターからインターネット経由で、アプリケーションソフトを利用できる。 ハテ便利そうであるが、まさに雲(Clouds)を掴むような話で、老人ボケしたワシにはピンとこないのであるが・・・・ まぁ、便利になるのは構わないが、自分のPCが相手側からのぞかれるのではないかと言う危惧も無きにしも非ずか。 場合によっては自分が群衆(Crowd)に曝されることにもならなければよいが。 とは言え、日々こうして書き綴っている文章や写真などがネットのサーバーに蓄積されてゆき、その量たるやすごいものになっているのではなかろうか。 ワシの姪っこも育児日記をネット上に載せて、親類と知人にのみ公開するブログを書いている。 つまり URL と PASS が判らないと見れない仕組みであるが、なかなかうまい方法を考えたものだと感心している。 そのブログが何処まで続くかは今のところは不明であるが、そこは姪っこの子供の時系列の記録が残されていくことになる。 まぁ、ワシだって、ここに6年半の時系列の記録がこのブログに残っている。 この残っている記録のことをログと云い、いわゆる過去ログと言う奴だ。 そして、それが人生と言うスパンになりますと「ライフ・ログ」と言うこともあるそうな。 厳密なライフログの定義は「人間の生活・行い・体験(Life)を、映像・音声・位置情報などのデジタルデータとして記録(Log)する技術、あるいは記録自体のこと」とウィキペディアにありましたが、はたしてどこまで記録でき、その容量がどれくらいになるのか、凡人のワシには想像もつかぬ。 大体、人は自分の生きた証を後世に残すためにいろいろな手段を講じてきた。 例えば石器時代に洞窟に書かれた絵なんてものはその最たるものであろう。 また日記なども古代から残されているものが多いが、長編で有名なものは尾張藩御畳奉行、朝日文左衛門の日記で、18歳から45歳で亡くなる前年までの37冊、200万字に及ぶものが残されており、今では新書や文庫本などになっている。 で、我々はどうなのか。 このブログもそういった要素は意識はしていなかったが、振り返ってみれば、とりあえず書いておこうと思いながら続いている。 また一方では Facebook や Twitter などで書き綴っている方々も大勢いらっしゃる。 これらの手法は朝日文左衛門さんよりより手軽に各人の人生の記録を残せる時代になっている証でもありますな。 まぁ、人によってはそんな大袈裟なものではないとか言う方もいるだろうし、自分の人生を公にはできない、いや、したくない御仁もいらっしゃるであろう。 そこはそれ、人の意識や好みの問題であって、横からヤイノヤイノと言うものでもなかろう。 ただブログ等をしていて人との出会いが変化したのは事実である。つまり今までは絶対知り合えなかった人と出会ったり、すれ違っていたり。 先日の万博のどんど焼きの時に、よくここにコメントを頂く pianon さんが同じタイミングで、炎の反対側から写真を撮っていたり、富士山周辺で ベテイ さんとすれ違っていたり・・・ また香港で生活していた時に、情報交換したりして知り合えた人たちもかなりの数になっておりますな。 人生の時系列を縦軸とするなら、こうして広がり、繋がるのは横軸と言っても良いのかもしれぬ。 横軸の広がりはリアルタイムで展開し、その範囲はその人の行動力によって際限なく広げることはできるが、縦軸、ライフログに関しては、現時点では自分の記憶に頼るしかない。 その最たるものは家系図であるが、ワシが描けるのは祖父母の兄弟関係とその曾祖父母までで、それから先は判らぬ。 とは言え、父が残したアルバムを基にデジタル化してクラウドの中に押し込めば、ワシの個が消滅しても種がそのクラウド世界の中に間違いなく残るのであろ。 問題は残し方だよね。 すでに亡くなった人なら写真を公開したり実名を出すことさえ、大きな支障はないと思うのだが、現存している人の写真や実名を公開するのは、些か抵抗があります。 実際にはそれを知りえたところで如何こうできるものでは無いですが、自分の名前や写真が悪用されない保証はどこにもないので、いわゆる個人情報として厳密にクローズドしてしまうケースが圧倒的であろう。 でも、意外と Facebook は皆さんオープンですね。先日ある方をトレースしていきますと、親類縁者からその勤務先までトレースできてしまって、個人情報をここまで曝して良いのかって思ってしまいましたね。 ワシとしては、ある程度まではクローズドにしておきたいよね。自分の個人情報は。そう思いませんか? はぁ・・・今日もオヤジの繰り言になっちまった。 写真をサボっているわけではないのですが、今年に入って野鳥の撮影はさっぱりでして、連日一枚も撮影できずに戻ってきています。 人生、そんな日もあるさと、すらっと流しておこう。 と言うわけで、本日の写真は昨年の香港旅行の中からで、お茶を濁しておく。 |
徒然
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正月休みもそろそろ終わり、気の早い方は昨日あたりからお仕事で、大部分は今日あたりからお仕事なんでしょうね。 ワシも子供たちが帰省したり、和歌山の母親の様子見などでチトにぎやかだったが、今では元の静かな生活に戻りました。 そして昨日は久しぶりにカメラを担いでいつもと違う場所のカワセミスポットを探しに出かけたが、寒いのと風が強いのとで、探しきらず、這う這うの体で撤退してきました。 まぁ、相手(被写体)任せの写真は自分の思うようにはいきません。 一に忍耐、二に忍耐、三、四が無くて、五に忍耐の苦行があるのみ。 さてオヤジ再生計画のジョギングは順調に進んでいるが、最近はチョット足が重く感じることがある。 特に膝関節がだるいと余計に重く感じる。 こんな時は無理をしないように思いっきりペースを落として走っておりのますが、こうも寒いと、もっと体を温めないと堪えるのよね。 特に風のきつい日なんぞは大変だわ。 おまけに万博外周道で西風だと、向かい風の上り坂と言う条件になってしまいますので、結構辛いものがあり、家に帰ってシャワーで汗を流すときにお腹を触るとかなり冷たくなっていたりします。 とは言え、元気に走っておりますので、ご安心を。 で、この再生計画の一環に例の「断・捨・離」があるのですが、年末の大掃除の時には、音楽のカセットテープを約200本、ワープロやPCのフロッピーを約100枚ほど処分。 いずれも保存しておいても使うことも無いであろうと思うし、たかがこれだけでも結構スッキリとスペースを空けることが出来ました。 で、現在取り組んでいるのは段ボールに二箱あるネガフィルム。 只今セッセセッセとスキャニングし、終わったフィルムからゴミ箱に投げ込んでおります。 ところがスキャニングッだけでもいい加減時間がかかり、スキャニングしっ放しでは画像は変色してしまっているので見るに堪えない状況。そこで画像ソフトで色の補正をしてやります。 次にスキャン時に入ってしまった画面上のゴミの跡を除去をするのですが、これまた面倒。 でもね、どこかにプリントした写真があるかもしれませんが、忘れてしまっている光景に出くわすと、やはり懐かしく、見入ってしまって、どうしても手が停まる。 おかげで遅々として捗らない。 時には学生生時代の自分に再会したり、若かりし頃の自分の姿に再会しております。 そんな中から一部を・・・と言ってもまだ20本分のフィルムをスキャンしただけなので、先はまだまだ遠いが。 例えば就職した年の夏のキャンプ。 左端がワシなんですが・・・この後この後ろの海に飛び込み、そこへ大波が押し寄せ溺れかけたことを思い出しましたな。 こちらは友人と出かけた乗馬クラブ、初めての乗馬体験でしたな。と言っても最初で最後ですが、翌日は太ももがパンパンになって、歩行困難な状況にまで追い込まれました。 誰だ? ワシの写真を見て髪の毛、あったんだ〜って感心しているのは! (o_ _)ノ_彡 ☆ バンバン! なにせ、ワシはカメラを持っている側なんで、このようにワシ自身が写っている写真は少ない。 そうそう、今は亡き父親の写真・・・多分1972年頃か。 こうして残しておけばワシの子供たちに重たいアルバムを引き継ぐことも無かろうと思う。 いずれもネガフィルムからですので、デジタルのようなシャープさや鮮やかさはありませんし、フィルムが変褪色しているものを無理やり補正しているので、不自然な色味はご愛嬌と云う事で。 友人などの写真もメルアドが判っている人にはメールでご機嫌伺いなどしながら、昔話なんぞを楽しんでいる。もっとも人によっては迷惑かもしれぬが。 先は長そうだが、幸いに金は無いが時間はあるオヤジですので・・・ 問題は根気が続くのか? 飽きっぽい性格だけにかなり不安である。 一気に捨てれば良いものを、未練がましく余計なことを始めてしまった。 |
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いきなり真冬になってしまいました。 さすがにオヤジもダテの薄着なんて言ってられません。温か下着の上下セットを着込んでこの寒さに備えます。 皆さんのところは如何でしょうか? 日本海側では雪が降っているそうな。 今日は久しぶりにカワセミを求めて出かけてみたが、二時間半待ってもお目にかかれず、すごすごと引き上げてきました。 今週は何かと御用があってジョギングもままならなったが、本日は今週二回目のラン。いつもよりペースを落として走ったのですが、日暮れが早いものだから、家に帰るころには暗くなってしまっていましたな。 さて今週は何かと忙しい日々。 年賀状も母親の分や叔母から頼まれた分に自分チの分など、300枚ほどの印刷だけでも大変だわ。 おかげで毎日サンデーのはずがこんなに忙しいとは夢にも思わなかった。 先ずは月曜日。 チョイとした用事で、本州最南端の街を駆け抜けてきた。 本来なら先だっての災害復興に向けたボランティアなんて気の利いたことが出来れば良いのだけれど、拙宅から片道250Kmもあり、日帰りでは何も出来ん。 ただ、お天気が良いのに、自分に十分な時間が無いのが惜しかったな。 目的地の那智の滝辺りではやはり災害の爪痕が生々しく残り、無残な姿の家屋や田畑が広がっておりましたし、見渡す山の肌にも傷跡が残っております。 ニュースでも取り上げられていた熊野那智大社の被害跡も、一応土砂の撤去は進んでおりましたが、近くには立ち入ることが出来ない状況でしたね。 でもその日は本当に良い天気で、きれいな青空が広がっておりました。 途中にあった紅葉もきれいに色づいて・・・・・・ 本当はまだ残っている緑の部分と紅葉とを引き出したかったが未熟ゆえに・・・ また串本町には奇岩で有名な橋杭岩があるのですが、こちらもきれいな青空。 水辺にはアジだろうか、小魚がたくさん泳いでおりました。 またこの南国らしいハイビルカスも。 この写真の背景に黒い点々。これはレンズの汚れではありません。たくさんの鳥が飛んでいたのですが、望遠を持っていなかったので追うことはできませんでした。 そうそう、今週は愛用のレンズが一本ドック入り。 ニコンの18〜200mmのレンズなんですが、どうも調子が悪い。その原因は落っことしたことにあるのは重々承知しているのですが、この度、ニコンにて修理のためにドッグいりしました。 今までカメラ屋さん等に修理を持ち込んでおりましたが、その結果はすでに記事にした通り、捗々しくない状況で、最近は直接メーカーさんにお願いすることにしています。 ニコンと言えば香港に居る時に同社のAさんにかなりお世話になりましたな。あの方も今では日本に戻って活躍されていると思うのですが、出来ることならワシのレンズの修理も面倒見てくれ〜〜って思ったりなんかして。 で、ニコンのサービスセンターまで持参。千里の自宅から梅田まで自転車で片道約15Kmを約1時間弱の運動である。 サービスセンターで修理の旨をお伝えしますと・・・・約3万円の修理代とのこと。 ち〜〜とばかり痛いが背に腹は代えられぬ。3週間ほどのドック入りが確定した。 このレンズは以前にも修理したことがあるのですが、前回は単なる埃だけだった。しかしその点検清掃がかなり高くて以来カメラ屋さんにはお願いしないこととなった経緯がある。 そもそもズームレンズはレンズの鏡胴を前後に動かすことで焦点距離を変化させるのですが、その際に埃をレンズの鏡胴の中に呼び込みレンズに付着。 その埃が撮影時に悪戯して、ちょうど上の写真のように黒い影となって現れることになる。 もともとワシはズームレンズはあまり好きではなかった。 なぜなら、レンズが重く、画面の周辺が流れたり、収差が発生したりとマイナスイメージが強かったのですが、何分自分が動かなくても簡単に画面構成を変化させる便利さに負けて、今では4本のズームレンズで12mmから500mmまでを抱えることとなり、そこから脱却できずにいるのですな。 出来ることなら昔のように単玉レンズの世界に戻るべきかもしれぬ。 どうもまとまりのない文章で、相すまぬ。 |

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12月は「初冬」と言ってもおかしくない季節だが、今年はチト感覚が異なるようだ。 と言うのも、この日曜日、我が家のマンションの庭でも・・・・・ 千里の公園でも・・・・・ さすがに葉の大部分が散ってしまってはいるが・・・・・ 昨日お出かけしていた所では、まことに好天で、上着なんぞ必要としなかったな。 と云う事でワシの写真日記としておこう。 |

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昨今は海外旅行はごく日常茶飯事。 大部分の方はパスポートを保有している現代において、その意味を理解していない方はいないと思う。 つまり、海外旅行をするためには命の次に大事なモノなのですな。 もちろんワシだって持っている。 ほれ。 一番左端の青いパスポート。1973年にワシが取得した数次旅券。今時のパスポートに比べると一回り大きい。 また一次旅券と言うのがあって、当時それの表紙は赤だったように思うが記憶が定かではない。 やがて同じサイズで、数次旅券の表紙は赤くなった。その旅券があったはずだが、今は何処に行ったのか見つからない。 何冊かあって、香港で発行してもらった旅券だとか、二冊合わせた『合冊』と言うのもあり、リボンで結ばれていたな。 何故に合冊かと言いますと、パスポートに有効なビザがありながら、パスポート本体の有効期限を迎えた場合、過去の有効なビザを保有していることを証明するために、新旧のパスポートを合冊しておりましたな。 で、写真の赤いパスポート、中央のモノは1999年発行で、このチョイと前にパスポートの有効期限が5年から10年になったように思います。 そして右端が現在のモノで、PASPOT の文字の下にICチップのマークが入っておりますな。 この時代くらいまでなら、まぁ記憶の範囲内。 では、何時頃からパスポートなるものが使われるようになったのかと疑問を持ってしまったのよね。 こんな時にはネットをチョチョイと叩けば出てきてしまうので、調べものの手間は省ける。 かの Wikipedeia によりますと・・・ 1866年5月21日(慶応2年4月7日)日本初のパスポート誕生。 当時は「ご印章」と呼ばれ、学業・商業のみの利用制限であった。 留学経験者やフランスの役人の話を元に、1枚の和紙に墨で書かれた。写真の代わりに、容姿の特徴が書かれてある。 とありました。 さらに実家の整理をしていた時に出てきたのが、父と祖父のパスポート。 まだ海外へ行くことに厳しい制限があった時代のパスポートってどんなものかを紹介したいと思います。 先ずは父が1953年にインドに出張した時のパスポート。 今のパスポートは二つのアルファベットに7ケタの数字が付いておりますが、当時は5桁だけの数字だったようです。 また当時の外務大臣の氏名が印で記されておりますな。 ページを開きますと・・・ 当時31歳のオヤジの写真。ワシが6歳の時に出張で出かけたが、和歌山の駅まで見送りに出た記憶があるが、むやみやたらと見送りの人が多かった。 道程はスカンジナビアかパンナムで香港・シンガポール経由で入ったと思われるが・・・香港では今も残っているミラマーに宿泊したようだ。 さらにページを捲ると・・・ 日本の出国・帰国のスタンプとインドの出国印がある。 当時の仕事は大変だったろうな。 さてもう一つ、爺様のパスポート。 こちらは1927年、大毎主催第4回全国選抜野球で和歌山中学(現桐蔭高校)が優勝した記念にアメリカに招待されたのですが、その随行員の一員(多分市会議員をしていたためと思うが)として出かけた時のモノと思われます。 なにせ飛行機も飛んでない時代ですから船で片道二週間ほどの道程だった思います。 さて、実家からこんなものが出てきますと、困った。・・・・・捨てられない!! どうすべぇ。 今思えば見なきゃ良かったヨゥ〜〜。 パスポートを眺めていると、フラリと旅行に行きたくなりました・・・トップは昔出かけたオーストラリアの海、ゴールドコーストとグリーン島
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