全返信表示
続縄文時代 → 擦文時代
お出かけ
[ 奄美は人も自然も食物も良かった ]
2016/10/1(土) 午前 9:22
オホーツク人の土器はおおまかに円形刺突文、刻文、沈線文とソーメン状貼付文の3期にわたって変遷する。
その中で最も特徴的なのが北海道東部から南千島に分布するソーメン状貼付文土器である。
この土器はソーメン状の細い粘土紐を直線、波状にほどこしたものである。中には海獣、水鳥など動物を表現した貼付文もあるが多くはない。ソーメン状の粘土紐は一定の幅をもっているので動物・海獣の腸を乾燥させチューブとして粘土をひねり出した「チューブデコレーション」技法によるものと考えられている。
高圷、皿、異形土器などの土器はなく、あるのは底部が小さい割りに胴部は丸みをもった広口壼である。
土器の大きさは小型・中形・大形・特大型にわけられる。用途に応じて使い分けしていていたのであろう。焼成はあまり良くなく、記面の色調は灰黒褐色である。
続縄文時代 → 擦文時代
お出かけ
[ 北海道にまた行きたいな ]
2016/8/27(土) 午後 4:49
標津遺跡群(しべついせきぐん)は、北海道標津郡標津町字標津に所在する擦文文化やオホーツク文化の集落跡を代表する広域的な遺跡群である。
伊茶仁カリカリウス遺跡(位置)(いちゃにカリカリウスいせき)は、ポー川と伊茶仁川に挟まれた標高20メートルの台地に位置する。1200あまりの竪穴住居跡が台地縁辺部で観察され、ここでは擦文文化の竪穴住居の構造が明らかにされている。1979年(昭和54年)5月22日史跡に指定される。
古道遺跡(位置)は、標津川の流域の標高8メートルの左岸段丘に立地し、擦文時代を中心とする219の竪穴住居跡とコの字形の面崖式チャシからなり、1976年(昭和51年)6月21日史跡に指定される。
三本木遺跡(位置)は、標津川の左岸に発達した海岸砂丘上に立地するオホーツク文化期の五角形ないし六角形の21軒分の竪穴住居跡が地表から観察され、下層に続縄文文化の遺構の存在が確認された。1989年(平成元年)10月22日史跡に指定される。
さよなら道東生活・・・
気ままに・・・
[ kik*q*qwpg*r ]
2015/2/26(木) 午前 6:08
えっと、初めてブログに書き込みさせて貰いますヽ(*’-^*)。
迷ったんですけど、どうしてもありがとうを伝えたくて書き込みしました(*´ー`)
スポーツとかでもそうですが、ブログも小説みたいに書き手のセンスが問われるんだなって。
同じようにブログを書いてる者としては刺激的でもあり、実力の差を知ってちょっとがっかりしたり笑(ノ≧∀≦)ノ
でも純粋に一読者として楽しくブログを拝見させた貰いましたし、あっというまにファンの一人になってました(。?∀?。)
自分のブログでもないのにちょっと書くか迷ったことがあるんです。
というのもちょっと抱え込んでる悩みがあって。
私の悩みにどんなことを、Mさんなら言ってくれるんだろうって率直に知りたい気持ちです。
koikaren@i.softbank.jp
時間がある時でもちろん構わないので、もしよかったら連絡を貰えませんか。
さよなら道東生活・・・
気ままに・・・
[ meronnpan74 ]
2009/8/4(火) 午後 5:06
さよなら道東生活・・・
気ままに・・・
さよなら道東生活・・・
気ままに・・・





