TYRRELL 1971〜1998
今回からF−1チームを過去から現在まで紹介して
いきます。
1回目はティレル
オーナーはケンティレル、元々材木商でしたがTyrrell
RacingとしてF3やFJにチームとして参戦。
1967年マトラと組んでマトラインターナショナル
としてF−1に参戦しました。
69年にはJ・スチュアートを擁しドライバーとコンス
トラクター両タイトルを獲得してます。
70年にマトラと別れ71年からティレルとしてフル
参戦、ダブルタイトルを取って実力を示します。
73年までJ・スチュアートとF・セベールのドライ
バーコンビで活躍します。
76年ティレルは画期的なマシンを発表します。
P34、6輪のF−1マシンです。前輪の空気抵抗を
少なくする設計でした。
76年富士GPで3位表彰台を獲得し日本でのスーパ
ーカーブームと重なりタイレルとして人気が出ます。
プラモデルやミニカーや文具として売れチームに莫大
な版権料が入ったそうです。
マシンのポテンシャルとしては思っていたほど実力が
発揮できず前輪タイヤの開発の遅れもあり77年で
6輪車は消えます。
80年代はターボエンジンへの移行が遅れ低迷します
がケン・ティレルの新人を発掘する手腕が見事発揮され
非力なフォードコスワースエンジンでM・アルボレート
が82・83年で2勝します。
ケン・ティレルの新人発掘はその後もM・ブランドル、
J・アレジを起用し育てていきます。
90年代に入り89年からデザイナーを務めるハーヴェイ
ポスルウェイトが現在のマシンの主流となっているハイ
ノーズのマシン019を生み出します。
この90年は中島悟、J・アレジの活躍でモナコGPで
2位(アレジ)を獲得します。
91年にはホンダエンジン、93年ヤマハエンジン(ド
ライバー片山右京)と日本のエンジンサプライヤーと組
ますがあまり戦闘力が発揮できないまま終わります。
97年には中島悟をスポーティングデレクターに起用し
日本からの資金調達でチームの活性化を図りますがミカ
・サロのモナコGP5位入賞が最高位で終わります。
そして98年チームをBATに売却するもケン・ティレル
は残りますがドライバーの起用でケンはチームを離れ
2001年に亡くなりました。
Jackie Steward Onboard Camera Monaco GP
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ティレルは中嶋さんがいたこともあって好きなチームでした。面白いこともいろいろ試していましたよね(^^)BATに売却してそのBATはどうなってしまったんでしょ^^;
2007/10/11(木) 午後 8:40
MAYさんBATからBARになって今のHONDAの母体ですね、来季のHONDAはガンバってほしいです!
2007/10/11(木) 午後 11:41