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近年、使われすぎて陳腐になり、もう指摘されても今更物珍しいとも思わなくなった二分法がある。 夢/現の二分法、よく使われる言葉で言うとバーチャル/現実の二分法。社会問題を指摘する際に言われるのは、現代社会においてバーチャルから現実への侵犯が起こっており、それが社会のこれまでの秩序を壊そうとしている、という図式であろう。しかし、ここでいう「バーチャル」なものとは何を指すのか。バーチャルと現実が対立的なものとして描かれる以上、バーチャルはは定義上、「現実ではない」ものである。つまりバーチャルが何か、ということを明らかにするには、現実が何かを明らかにせねばならない。ここから考えていきたい。 では、現実とは何だろうか。私たちの日常的な考えからすれば、現実とは私たちに当たり前に共有されている何らかの認識であるというように言える。現実をそのように共有された知識として常識に近い立場から解釈すると、バーチャルはその対立物として、突飛なある特定の人たちにしか共有されていない認識、ということになる。たとえば、「金銭を獲得するために働く」という共通の行為も、その「金銭」が広く流通していれば現実世界における労働とみなされるし、特定の範囲にのみ、たとえばとあるネットゲームの中でのみ、流通していればバーチャルということになる。 しかし、この立場に立つ限り、現実/バーチャルの境目は常に移動する可能性があり、現実からバーチャルへの侵犯という問題点が成立しない。なぜなら、相対的に多数の人間によって認められている価値とはこれまでの歴史上常に変化してきたし、また現時点であってもかなり地域差をともなうものであって、現実を定義する人間の歴史的地理的立ち位置によって異なってくる。たとえば、日本円を獲得するために働くということは、現実世界の中で行われる労働である、と私たちは定義することができる。しかし、たとえば、破滅的なインフレに襲われている時のジンバブエに住んでいる人間にとって、貨幣を獲得するために労働するということは彼らの認識の外側にある行為であって、現実という側の認識に含まれないんだろう。(人間の認識に共通のフレームがあるっていう生理学の話もあるけど、それが仮に本当にあるにしてもその認識のフレームのみで成立しているような現実はほとんどないんではないかと私なんかは思う)。 じゃ、次に現実とは事実そのものである、という立場もありえる。次はその場合の現実という認識について考えてみる。 でも長くなったから今日はここまでw |
社会学っぽい話
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