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現在の中の過去

過去に戻って、何かをやり直せたらと俺たちは思う。


しかし、原理の上でも、過去に戻ることはできない。

それは物理学的な意味ではなく、社会学的な意味で。


なぜなら、過去は常に現在というポジションから規定された構築物だからだ。


その意味で、過去の歴史があって、それが結果として現在を形作っているのではない。

現在の結果を肯定するために都合の良いことが、補強剤として証拠として採用され、それを過去だと思いこむだけだ。


多くの現象、今であった時間は、無色透明のものとして認識され蓄積されていくわけでない。
もちろん、私たちの認識は広い意味での情報というツールに支えられているのかもしれない。しかし、いっぽうで、コード化されていない情報の羅列がたんなるノイズであるように、情報の羅列そのものは、私たち自身にはなんの意味もないものだ。


その情報の羅列になんらかの定義を与え、価値付けをほどこし、必要であるものと必要でないものを選り分けていく必要がある。

そして、その選り分けらた認識を束を私たちは「世界」と呼ぶ。

そして、世界にあるもののなかで自分に関わりがあると思える材料を引っ張り出し、引き出し、因果関係というストーリーを作り出せば、そこに過去ができる。

もちろん、この因果関係は事実関係に基づいて構築されることもある。
しかし、別に事実関係に基づいている必要はないし、ありていに言えば、過去の出来事すべてに一貫した因果関係を見いだそうとするのは宗教家くらいのものだ。

過去に存在した私の認識と、今ここにある私の認識がまったく同一なものでない以上、すでに過去の出来事そのもののに触れる回路は遮断され、通行することができない。

つまり、私たちの手に残っているものは、過去という名の現在なのだ。


現在から認識の変化によって、過去あったことの評価が変わることもあろう。しかし、それこそが、過去という認識が現在に縛られていることの証であり、過去が現象を現在から照らしてみたものである、という一つの示唆になるかもしれない。



しかし、一方で、そうであるからこそ、過去そのものは変えることができない。


過去に対する再解釈の要求は、過去をやり直したいと思う現在の意図が無ければ存在し得ない要求であるから、この願いそのものは前提条件である現在経由してではないと、現れてこない。

したがって、現在を経由して現れてきたこの思いは、過去に向かっているけれども、徹頭徹尾、現在を土台にして構築されている。

過去を変えたいと、あなたが気付いてしまったのは、結局現在の気付きによってであるのだから、その気付きに基くいかなる行動も、過去そのものには届かない。それはちょうど自分の襟首をつかんで空を飛ぼうとすることに似ている。

過去に縛られて、過去を動機に行動する者がことごとく非生産的なのは、こんなパラドックスに縛られているからだろう。

否、おそらく、そのような人は自分を縛りたいのだ。そこに己の準拠点を見たいのだろう。

現在がそして、現在から把握できる過去と呼ばれるものが全て変わりうるモノであるのならば、過去とは私たちに何の保証もしてくれないものになる。

それに耐えられないものは、そのような鎖で己を縛る。
そして安心する。

もう何も考えなくて良い、と。


多分、後悔を感じたことのない人間はいないし、今が幸せですべてだっていうのは、自分の努力による思いこみだろう。


それでも、過去は過ぎ去ったから過去なのであって、現在には毛ほどの影響力もない。


それは、絶望的な不安に私たちを苛むだろうし、有限の自由を与えてくれるものでもある。



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