全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
反心理学みたいな本を昔読んだことがある。俺は心理学は専門じゃないから詳しいことは分からないけど、その時に中で書いてあったことですごく印象に残ってることがある。

人は精神病者をどこか私たちと違う複雑な論理に従って動いているように見なす。
しかし、それは誤りだってこと。彼に言わせると、精神病者の心理を理解するのは容易い。なぜなら彼らが従っている論理はすごくシンプルだから。むしろ、普通の人の心理を総合的に説明するのはものすごく難しい。なぜなら、彼らが従っている論理はすごく複雑だから。

つまり、論理が狂っているわけではなく、それが環境に適応するにはシンプルすぎることが精神病者の特徴だということ。


社会学者的に引きつけて考えれば、神話によって成立してる共同体、俗な言葉で言うと未開の部族の従っている論理はある程度シンプルで、しかも完結している。でも、例えば、彼らがそのシンプルな論理のまま現代社会に放り込まれたら、上手く適応できるだろうか。きっと不適応を起こすと思う。

要点としては、環境の複雑さに対応できるかどうかが、焦点であって、別に彼の論理自体が狂っているわけではないってこと。

ここで話をひとつ広げてみる。

社会科学の分野ではけっこう当たり前の事になってると思うけど、現代社会というのは高度に複雑な社会だ。それぞれの部分で高度に複雑化が進んだ結果、誰も全体を見渡すことができなくなった世界、それが現代だと思う。

例を挙げよう。俺は社会学の専門家だ。したがって社会全般のことを把握するために普通の人がかけられない時間と資源をかけることができる。けど、そんな俺でもやはり最新の経済学や金融の事は分からないことが多いし、政治や法内部の複雑な関係はやはり分からない。もっと、言えば最新の芸能事情には疎いし、ファンションの流行をきちんと把握してるとは言い難い。

うん、当たり前だね。だって、俺は万能の存在じゃない。俺の観点からしか、物事を観察できない。その限界を抱えてる。しかし、世界は人間一人が認識できる水準をはるかに超えて複雑になってしまった。

だとすると、現代を生きる人間は、誰でも環境との不適合を起こす可能性がある、ということなんじゃないだろうか。もし、従っている論理によって環境に適合できないことを狂人と呼ぶならば、俺たちと狂人を隔てる境目は、たまたま今いる環境では上手く適合できているという恣意性に委ねられることになる。

もっと言えば、どのように振る舞っていれば適合できていると見なすのか、というラインの設定で、俺たちは誰でも排除される可能性がある、ということだ。


だから俺は探している。
先取りされた秩序に依るのではない、関係性を。
排除による秩序ではない、可能性を。

それはきっと、個々の人間が自分の論理に従いながら、かつそれでもある程度の共同性が成立するような、そんな場のはずだ。そんな場を解き明かすことができれば、そんな場が存在することを証明できれば、誰もが排除されることのない条件を解き明かせる。

もちろん、この考え方は社会契約に代表される主要な議論とは対立するし、今秩序を司っている人の役割を否定するように捉えられるから、反社会的だ、と言われるだろう。

それは、きっと誤解だ。俺はこんな場が常態化するのは危険だと思っているし、異なる論理間のコミュニケーションが存在するのなら、やはりそれは個々別々のきっちりとした論理システムが存在するから可能なんだと思う。

したがって、問題はその論理と論理の中間、システムとシステムの中間、社会と社会の中間、その中間を媒介する場の存在によって、そのような関係性は可能になるはずだ。

現実的ではない、理想論だろう。誇大理論かもしれない。
でも、それを証明できれば誰もが少なくとも社会の一角では、誰でも存在することを許される場所があることを証明できるはずだ。


世界は複雑さを増していく。これからもどんどんと。

俺たちはどんどん生きにくくなり、どんどん不適合のリスクを背負っていく。

俺たちが狂人に近づいていくなら、狂人をも包括するシステムを考える。全ての弱者が関係性を持てるシステムを考える。

俺が死ぬまでに、間に合えばいいんだけど。



日本ブログ村に参加しました♪
https://www.blogmura.com/img/www80_15.gif
にほんブログ村(文字をクリック)

台湾滞在記31

今日は4月24。

これの意味するところは、俺の台湾滞在期間があと三ヶ月を切ったってこと。
帰りたくないし、最近は次の経費の申請をがんばってるけど、とりあえず1回はここで帰ることになる。


最近は面白い奴らに囲まれて、とても幸せだ。

こんな楽しい日々がずっと続けば良いのに。

最近、特にそう思う。

・・・・きっと、そう思えないよりは良いことなんだろう。


なんであれ、始まりのあるものには必ず終わりがある。


終わることを悔いるのではなくて、精一杯やったと、満足して終わりたいもんだ。

なんであれ、俺の素晴らしい時間に欠くことができない奴ら達。

いつも居てくれてありがとう。

もう少しだけ、俺と一緒に踊ってくれ。




日本ブログ村に参加しました♪
https://www.blogmura.com/img/www80_15.gif
にほんブログ村(文字をクリック)
最近、台湾ではタイタニック3Dなんていうのが流行っている。

さて、このタイタニックという主題がなぜこれほどまでに人を惹きつけるのか、このあたりをちょっと深いレベルから考えてみようというのが今回の主題。

社会学とか人類学には供儀論っていう議論がある。これは、ようするに生贄を捧げるっていう儀式について研究する議論。有名なのだとバタイユとかジラールとか。

なんで生贄の捧げるなんていう儀式があるかっていうと、それによって共同性を担保するため、っていうのが一般的な答え方。それってどういうことよ、っていうのはまぁ、終わってみてから考えてみて。

さて、タイタニックに戻る。

タイタニック号っていうのは外界から隔絶されたひとつの特別な世界だ。
社会の中にいる普段は関わることがない人々も、まとめて分かりやすく一つの空間の中に包括される。したがって、タイタニック号で出会った二人の男女は、本来なら身分が違うから出会うことはなかったろうし、かつ出会ったとしてもあの船の上という特別な環境がなければ、交流することもなかったろう。

他とは切り離された関係を可能にしていたのがあの船というモチーフであり、大地から大地へと移動する海の上という一種の不安定な状況であったわけだ。

したがって、タイタニック号で出会った二人はこの特別な環境に感謝しつつ、深く船という対象にコミットしつつ、関係を深めていく。この船が二人をつなぐ絆になった、ということ。

ここで何事もなく、船が次の陸地に着き、いつもの通常の価値観が戻ってくれば、二人の関係は続かない。二人の関係を成立させているのは、この船というオブジェクトなわけだ。


しかしながら、不幸にして船は事故に合い、沈んでしまう。これはこの物質がもう使用不可能な状況になったことを意味する。その結果二人の関係を支えていた船という対象に対する思い入れも、宙に浮いた状態になる。

順を追ってみてみよう。

船に対する深いコミットメントは、船と自分をある程度同一化することをもたらす。タイタニックの場合、この同一化によって二人の恋愛が可能になっている。船にいる自分は普段とは違って特別で、その理由はやはり二人が船の上にいるからだ。

しかし、事故による破壊によって、自分が同化していた対象は認識不可能な「なんでもないモノ」へと解消される。

その結果、私が深く船にコミットメントしていればしているほど、私の存在が破壊されたような感覚を味わい、「私という意識」と「私以外の外部」との境目が曖昧になることを経験する。「私の喪失を観察する私」というのは矛盾一杯の眩暈がするような体験だろう。

この「何者でもなくなった私」という感覚の共有によって、本来違うはずの人々の間の交流が可能になり、その結果そこには強力な共同性の感情が生まれる。

タイニックの文脈で言えば、この船という対象の喪失によって、この喪失を共有し、共同体験することによって、そうでなかったならば生じなかったような愛情が芽生えるわけだ。


加えて言えば、この喪失の感覚はタイタニック号上での魅力にあふれた毎日を前半で見せられた観客も共有している。観客は前半でまさに私もその船の上にいるかのよう映画を見、またその船に対して幾分か自分を同一化する。

したがって、船が破壊されるカタストロフィによる喪失の共有はレベルの違いこそあれ、観客も体験するのであり、それが作り物で私たちは現実の世界にいるという区別をこえて(このような区別を超えた共同性を可能にするのが供儀だ)、私たちを物語の人物たちとの共同性の中へ誘う。


ちなみにこのような供儀によって生じる共同性は、日常的な規範からの逸脱、分かりやすく言うと狂気的なお祭り騒ぎを伴いやすい。沈んでいくタイタニックで描かれた日常ならおかしいと思われる行動の数々はこのような供儀によって生じた特殊なお祭りの空気によるものとして理解できる。

ジャックとローズの恋愛は、このような燃え上がる感情によって悲しい結末をを迎えるが、もしそうならなかったならば、どうなったであろうか。

確実に言えるのは、二人の愛が完成する形はこれしかなかった、ということだ。

祭りの間に愛が幕引きされなければならなかった。
そして、そのことによって、二人の愛は残った。

悲劇であれ、祭りであれ、一瞬の心からの愛を感じることができたことは、二人にとって幸せだったのだろうか。


日本ブログ村に参加しました♪
https://www.blogmura.com/img/www80_15.gif
にほんブログ村(文字をクリック)
ちょっと久しぶりに身体を動かしたくなって、バスケをしにいってみた。

こないだボールも買ったことだし、近くにフープがあるのは知ってたし。


ほんとうに久しぶりのバスケ。たぶん、5年ぶりくらい。


準備運動をしてから、コートに入った。

ただ、ドリブルしてるだけでもなんか楽しい。


シュートを打ってみる、打ってみる、打ってみる、打ってみる・・・。


全然、だめ。

まったく感覚を忘れてる。


唯一まともにできたのは右45度からのカットインと、ローポストからのジャンプシュート。

俺の得意だったプレイ。


それ以外は全部忘れてた。うん、俺やっぱセンスないわw


繰り返し、繰り返し、あきれるほど何も考えなくてもできるほど繰り返したプレイだけは、

俺の血肉になって残ってた。


きっと、こういうもんなんだろう。


追い詰められた時に本当に役に立つ物は、繰り返し、繰り返し、自分の血肉となるまで繰り返したものだけ。

これが俺の背骨なんだ。


運動を終えてシャワーを浴びる。汗が流れる感覚がする。

いつもはここでビールって言い出すんだけど、バスケの後だけはスポーツ飲料。


ビールの神様、バッカス様、ごめんなさい。

バチを当てるのは、この喜びの後にしておいて。



日本ブログ村に参加しました♪
https://www.blogmura.com/img/www80_15.gif
にほんブログ村(文字をクリック)
昨日今日と台湾の雑誌社に資料調査に行っていた。

今日は資料調査が一段落ついたので、友人たちと温泉へ。


露天風呂に浸かりながら、空に浮かぶ月を見ていた。

月の手前には椰子の木。


月は、半月がやや欠けた形。あなたの瞳のように見えた。


サウナに入り、水風呂浴びて、また温泉。


聞こえるのは、自分の鼓動。見えるのはただ月だけ。



頭の中はいつしかからっぽになって、何もなくなっていく。


いつ以来だろう、こんな風に空っぽになれたのは。

いつから、俺はこんなにいろいろ自分を縛っていたのだろう。




からっぽになった俺の中に、黄金色の液体を流し込む。


感じるのは、自分の中が充たされていく感覚。


不純物無く、ただ一つの感覚が広がる。


うん、俺は今まさに生きている。




日本ブログ村に参加しました♪
https://www.blogmura.com/img/www80_15.gif
にほんブログ村(文字をクリック)

.
龍魔
龍魔
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事