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誤解

強くなりたかった。

そうすれば必要とされるのだと思っていた。

必要とされることと、強いことは違うことを悟った。



でも認められなかった。


もっと強くなろうとした。


強くなることは手段であることをいつしか忘れた。





・・・・・ 俺は、強くなったろうか。

敗戦処理

ことごとく、上手くはいかない。

また例のように敗戦処理だ。

どれだけ軽く見られているのか、それとも俺が軽く見てるのか。


裏切られたと憤るよりも、軽んじられたと怒るよりも、

この期に及んでなにかを期待している自分がいることを知るのが、最低の気分だ。

罪人の独り言

なにも、良いことは起こらない。

望めばすべて裏切られる。

ならば、歩み続けることに何の意味がある?


ただ、苦しみを味わうことが、俺に残されたことならば。
死んだ方が、ずいぶん気楽だろう。


苦しみ続け、歩み続けることが、わが性ならば、煉獄の咎はここにある。

望みを捨てることが正しいと知りつつ、罪人は無様に夢をみる

反心理学みたいな本を昔読んだことがある。俺は心理学は専門じゃないから詳しいことは分からないけど、その時に中で書いてあったことですごく印象に残ってることがある。

人は精神病者をどこか私たちと違う複雑な論理に従って動いているように見なす。
しかし、それは誤りだってこと。彼に言わせると、精神病者の心理を理解するのは容易い。なぜなら彼らが従っている論理はすごくシンプルだから。むしろ、普通の人の心理を総合的に説明するのはものすごく難しい。なぜなら、彼らが従っている論理はすごく複雑だから。

つまり、論理が狂っているわけではなく、それが環境に適応するにはシンプルすぎることが精神病者の特徴だということ。


社会学者的に引きつけて考えれば、神話によって成立してる共同体、俗な言葉で言うと未開の部族の従っている論理はある程度シンプルで、しかも完結している。でも、例えば、彼らがそのシンプルな論理のまま現代社会に放り込まれたら、上手く適応できるだろうか。きっと不適応を起こすと思う。

要点としては、環境の複雑さに対応できるかどうかが、焦点であって、別に彼の論理自体が狂っているわけではないってこと。

ここで話をひとつ広げてみる。

社会科学の分野ではけっこう当たり前の事になってると思うけど、現代社会というのは高度に複雑な社会だ。それぞれの部分で高度に複雑化が進んだ結果、誰も全体を見渡すことができなくなった世界、それが現代だと思う。

例を挙げよう。俺は社会学の専門家だ。したがって社会全般のことを把握するために普通の人がかけられない時間と資源をかけることができる。けど、そんな俺でもやはり最新の経済学や金融の事は分からないことが多いし、政治や法内部の複雑な関係はやはり分からない。もっと、言えば最新の芸能事情には疎いし、ファンションの流行をきちんと把握してるとは言い難い。

うん、当たり前だね。だって、俺は万能の存在じゃない。俺の観点からしか、物事を観察できない。その限界を抱えてる。しかし、世界は人間一人が認識できる水準をはるかに超えて複雑になってしまった。

だとすると、現代を生きる人間は、誰でも環境との不適合を起こす可能性がある、ということなんじゃないだろうか。もし、従っている論理によって環境に適合できないことを狂人と呼ぶならば、俺たちと狂人を隔てる境目は、たまたま今いる環境では上手く適合できているという恣意性に委ねられることになる。

もっと言えば、どのように振る舞っていれば適合できていると見なすのか、というラインの設定で、俺たちは誰でも排除される可能性がある、ということだ。


だから俺は探している。
先取りされた秩序に依るのではない、関係性を。
排除による秩序ではない、可能性を。

それはきっと、個々の人間が自分の論理に従いながら、かつそれでもある程度の共同性が成立するような、そんな場のはずだ。そんな場を解き明かすことができれば、そんな場が存在することを証明できれば、誰もが排除されることのない条件を解き明かせる。

もちろん、この考え方は社会契約に代表される主要な議論とは対立するし、今秩序を司っている人の役割を否定するように捉えられるから、反社会的だ、と言われるだろう。

それは、きっと誤解だ。俺はこんな場が常態化するのは危険だと思っているし、異なる論理間のコミュニケーションが存在するのなら、やはりそれは個々別々のきっちりとした論理システムが存在するから可能なんだと思う。

したがって、問題はその論理と論理の中間、システムとシステムの中間、社会と社会の中間、その中間を媒介する場の存在によって、そのような関係性は可能になるはずだ。

現実的ではない、理想論だろう。誇大理論かもしれない。
でも、それを証明できれば誰もが少なくとも社会の一角では、誰でも存在することを許される場所があることを証明できるはずだ。


世界は複雑さを増していく。これからもどんどんと。

俺たちはどんどん生きにくくなり、どんどん不適合のリスクを背負っていく。

俺たちが狂人に近づいていくなら、狂人をも包括するシステムを考える。全ての弱者が関係性を持てるシステムを考える。

俺が死ぬまでに、間に合えばいいんだけど。



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二万人分の人生

もうすぐ、2万人の一回忌。


身近で触れあっている人を理解することも難しいのに、

まったく知らない赤の他人の人生2万人分を理解することなんてできない。

情報量が多すぎる。



だから、理解するときには短絡化するしかない。

でも、短絡化するってことは、一つの観点で情報を組織しなおすということ。

その場に不適切な情報は、ノイズとして整理される。



軽々しく、失われた全ての人の事を考えてみてください、なんていうのは嫌いだ。

全ての人の事を考えてみてください、などというのは無意識に行う単純化の一つだろう。

万能の存在でもないのに、本当は分かるわけがない。


しかし、ならば、理解できないとして諦めてしまえば良いのか。

共感の余地はないんだろうか。



一つの観点からの理解に過ぎないと理解すること。

そしてできるだけ多くの観点の並立を許すこと。

そうすれば、少なくともそうしないよりも、分かり合えるのかもしれない。


俺の理解しきれない無数の悲しみと苦しみと、

俺の理解できる少数の悲しみと苦しみとともに、願う。

どうぞ安らかな眠りを。



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