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ササン朝ペルシア最後の王、ヤズデギルド三世は651年イラン東方で殺されてササン朝は滅亡した。王の一族が当時の中国王朝である唐に亡命したという話は以前に読んでいた。ところがペーローズという王子が中国経由で日本まで来ていたという説がありました。(小林惠子著「白虎と青龍」文芸春秋刊)王子はその後中国に戻って生涯を終えたそうですが、妻子は日本に残っていたとか・・ 本当かどうかはわかりませんが、ちょっと面白いですね。 日本の正史である「日本書紀」は天武天皇が自分の正当性を主張するために書かせたので、本当のことは隠されているそうです。なので大化の改新や聖徳太子、壬申の乱のあたりはいくら想像力を働かせてもいいようです。奈良時代は国際的、というよりまだ「日本」というものがはっきりしない時代だったのかもしれません。法隆寺や唐招提寺が「日本人」だけで造られたと信じるのは無理があるように思います。 ※画像のガラス碗はどなたがお持ちになったんでしょうね。
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私も歴史とか好きなんです ただ難しい事や 複雑な事になると頭が回らなくってw
2007/3/7(水) 午後 4:00 [ MIY ]
ペルシアの 名が イランに なった 経由と その 意味を 教えて いただけませんか。ペルシアは 少なくとも 文明と 言語学面で 習う事が 多いですね。 一つ、参考のために 申し上げれば、法隆寺は 百済の 人々が 作ったんです。
2007/3/7(水) 午後 4:56 [ yan*ha*as* ]
「日本書紀」にある天武天皇以前の話の捏造説は我が家の主人も全面的に賛成しています。(良く聞かされるんです)聖徳太子は実在せず、実は蘇我馬子だったんじゃないかと…ベーローズの話も興味深いですね。妻子が日本に残っていたとしたら…どんな人々とかかわりがあったのか、想像を巡らすのも面白いですよね。
2007/3/10(土) 午後 7:35
せぴさん、イラン人で歴史に興味ある人ってあまりいないみたいですね。私は会いませんでした。お金にならない学問ってことみたいで・・ がくっ・・
2007/3/11(日) 午後 5:50
younghakaseさん、いらっしゃいませ。う〜ん、聞いたことあるような気はするんですが・・ 前の王様の父親がクーデターで王位についたときからイランになったのではないでしょうか。。昔からずうっとペルシアみたいですから・・
2007/3/11(日) 午後 5:53
ササン朝最後の王の家族が唐に亡命したという話を以前に読んで、それだけでもわくわくしてたんですが、(いろんな財宝を持ってきたんだろうなとか遣唐使と出会ったかなとか・・)日本までとくればますます・・でこんな記事を書いてみたんです。反応あってうれしいで〜す。
2007/3/11(日) 午後 6:01
persianmammyさんのご主人も歴史好きなんですね。書き残されていることは基本的に「勝てば官軍」ですから事実とは限りません。幕末も面白いんですが・・ 聖徳太子は本当に謎の人物で、日本人ではなかったと考える方が並はずれた能力の説明がつくように思います。(文明先進国から来た人物という意味で・・)
2007/3/11(日) 午後 6:08
え!? そうなんですか!!? じゃぁ 主人ってまれな人間だったんですね!?? 主人凄く歴史に興味あるひとで 色々教えてくれます びっくりしました!
2007/3/13(火) 午前 4:03 [ MIY ]
映画「300」を見てからペルシャとかの歴史が興味深くて、いろいろ調べたりしてます。でもあの変の歴史はいろいろ多過ぎてほとんど覚えられません。こう言う記事、興味深いです。
2007/3/22(木) 午前 1:20 [ ang**y927 ]
angelyさん、アメリカでも映画をきっかけに歴史に興味持ってくれる人がいればいいと思いますが、アメリカって歴史がないからぴんとこないかも・・300、二千年以上前ですから・・
2007/3/25(日) 午後 0:06
私も聖徳太子などという人物はいなかったと思っています。当時の理想の天皇像を描いただけでしょうね。馬子説あたりが正解なのでは。
2007/3/28(水) 午後 0:08 [ kaku ]
太子は偽造でしょうね。ただ、数ヶ国語を理解した人は権力の中枢にいたでしょうが。馬子が誰なのか、非常に興味がありますね。私は新羅系だと思うのですが。最近気にし始めたばかりです。
2007/4/9(月) 午後 7:54