イランで暮らしたことがある・・

過去を変えることはできない、だけど未来はまだ自分次第・・

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「砂と霧の家」で主人公の妻を演じた女優さんです。この演技でアカデミー助演女優賞にノミネートされてました。「イラン人は神の国イランをどう考えているか」という本に、彼女のインタビューがありました。

私のイメージするイラン女性と違っていて当然でした。イランで私が会うことのなかった「知性に秀でた」女性たちは、革命後のイランに残ることを選んではいなかったのです。1973年イランで女優としてスタート、1979年に二人の友人と一緒に旅行をよそおってトルコに出国、それが「亡命」のはじまりだったそうです。トルコから欧州縦断してロンドンに到着、1983年英国の大学を卒業。卒業後に女優業を再開、その後アメリカに渡って活躍中です。

アカデミー賞ノミネーションに象徴的な意味があるかと問われ、「それは私がイランを去るときに抱いていた、自由な社会で、自由な存在として私の夢を追求したいという抗しがたい願いが実現したことです。これはまた、私が一女性として発言権をもてたことも意味します。それは私にとってきわめて象徴的なことでした。このことがイランの数百万の才能があり知的に優れた女性たちへの、私に起きたことは彼女たちにも起こりうるというメッセージになるよう願っています。」

「ペルセポリス」のマルジが「自由には代償が伴う」と言うとおりに、母国イランに帰ることはできないそうです。彼女の存在は私にも生きる希望を与えるものです。たった二年のイラン暮らしで母国日本に戻った私ですが、家族をイランに置いてきている点では「亡命イラン人」の端くれと言えなくもないと思ったりしました。

イランに抱く夢は何ですか?
  自由になったイランを見ることです。

上のほうで知性派の女性たちには会わなかったと書いてしまいましたが、考えてみれば会ってはいるのです。夫の友人たちの妻の中には大学出の教師や技師の資格を持って働いていた人がいました。そういう人たちの家に招かれても、彼女たちは個性を見せてはくれないのです。食べきれないほどの料理を並べてもてなしてくれても、私はかえって悲しかったです。男の前では知性など無用、女は衣食住のための実用品・・明治時代の日本ってこうだった??

夫は彼女たちの経歴を私に語ってくれましたが、まるで「輝かしい学歴、職歴を夫のために捨てて家庭に入った」ことに価値があるという口振りでした。バカ・・・ ちなみに教師を妻にした友人はイラン男には珍しいフェミニストで、家事も妻と一緒にやるようでした。テヘラン出身の若妻の希望どおりにテヘランに転勤を決め、子供は産みたくないという希望も受け入れて妻は再就職を果たしたそうです。こう書くと進歩的都会的な女性のようですが、一方では非常に宗教的な人で日々コーランを読み戒律を守るという人でもありました。同世代の専業主婦している女性たちはもっと物質主義で享楽的です。イランは不可思議ですね。

もう一つ思い出したことがありました。イランでは本棚を作ったり置いたりしている家をほとんど見なかったのです。知識・教養に興味ない人たちかと今まで思っていましたが・・そうではないですね、やっとわかりました。文化大革命と同じか・・ 知識人イコール危険人物と見なされて、殺されてきたからでしょう。だったら、なぜ大学進学熱が高いのでしょう、どういう学問?? 政府の役に立つ学問だけなんでしょうね、たぶん・・

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