|
イランで天ぷらを揚げてみた。 食材はペルシャ湾直送のエビ、キロ25ドルで贅沢だけどこの3週間まったく料理をしていなかったのでそれだけでも満足。おいしかったけど天つゆがなくて残念でした。
|
過去の投稿月別表示
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
|
昨日、テヘランの原宿(と私が勝手に命名した)ヴァリアスール広場で、ローズ色のでかサイズのプルオーバーを買いました。日本円にして800円ぐらい。リーズナブルと思ったので値切らないで即買いました。姑へのプレゼントにするつもりです。買ったらなんとなく気が楽になりました。 なぜ買ったかというとテヘランで売ってるちょっと洒落たな服を姑に着せてみたかったのです。70歳の姑が今更どうなるものではありませんが、彼女の生きてきた世界と違う世界を少しでも知ってもらいたいという気がするのです。強欲で猜疑心の塊のような姑は、私にとっては娘をめぐる天敵ですが、一方で私以上に姑の手料理を食べた嫁はほかにいないぐらいに、食生活で世話になっているのは事実です。14歳で結婚する前から、弟がたくさんいる家の長女として小学校さえ行かずに家事に専念していたそうですから、60年以上も毎日食料の確保に努め、手料理を作り続けてきたわけで、そのことに関しては尊敬しないわけにはいきません。ジャムなどの保存食はすべて手作りしています。私には到底できないことです。二週間の滞在を終えてテヘランに起つ朝、ジャムや果物を持たせてくれて「自分にはこれしかできないから」と言っていました。心づくしだと思います。 学校へ行けなかったのは家庭や社会の状況のせいで彼女の人生において不幸なことでした。字が読めないことは人を疑うことへの大きな動機になっていると思います。モスクの成人学級で読み書きは習いましたが何年たっても拾い読みしかできないようです。(それでも私よりは読めるけど)今はペルシャ語の書類は娘が読んであげて有能な秘書役を努めています。もし姑が日本に生まれていたら、強引な性格を生かして実業家になっていたかもしれないと思います。姑が高利貸しのばあさんだったら実に似合っているなぁと心ひそかに思っていた私
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
|
イランの首都テヘランの下町、イマームホメイニ広場周辺に住んで二週間を超えたところです。イマームホメイニ広場というのは、日本でいうと上野や秋葉原のようにクルマ関係や電気関係の店が集中しているところです。当然ですが男ばかりが道を歩いています。外国人である私たちが歩けば、町の男は必ず声をかけてきます。 最悪だったのは、夜8時すぎにレストランへ行こうと日本女性3人で歩いていたとき、クルマが何台もよってきて、窓から「シックス、シックス」と声をかけられたときです。娼婦が連れだって歩いていると思われたのでしょうか。ラマダンで、夜8時半すぎないと(外では)食事することはできませんから、やむなく夜道を歩いていたわけです。イランにはバカ男が集結しているとしか思えません。(イランにも風俗があればも少しはましになってるのかな、と思うけど) テヘランでも北部に行くにしたがって人間の質が変わっていき、友人のオフィスがある最北部(ニアヴァランというところ)周辺では、外人だと後ろ指さす人もいずに歩けるので快適です。日本女性が住むのなら北部が最適ですが、家賃は東京中心部なみに高いです。 下町を歩いていて思うのは、「こういう雰囲気には覚えがある」ということです。40年前、私は渋谷の女子中学生(ちなみにミニスカートだった)でした。そのころの渋谷は今のイランと同様、「男の世界」でした。町にはポルノ映画の看板が普通に立っていて、男たちは立小便をしていました。(両方ともイランではダメですけどね)違いはあるけど似たような臭いを私は感じています。要は、男の感覚ですべてが回っていて、女性たちにとっては「不愉快な世界」です。 「男の世界」は男たちにとって快適です。町にいるのは男ばかりで女たちは家事専業、こんな快適な世界をなぜ日本の男たちはなぜ手放してしまったのか、今はそれが不思議でなりません。外圧のせいなんでしょうか??? そして・・今の日本は「女性の快適さ」が優先される「女の世界」になりつつありますね。男性女性のどちらかが快適ならば、他の一方が不愉快になるのは仕方ないですが、男性優先・女性優先のどちらかに偏るしかないのでしょうか・・
|
|
7月7日、イランに向かい飛行機に乗りました。同じ境遇の友人と一緒です。一か月のあいだにいろいろなことがありました。今年、14歳になる娘とは二年半ぶりに再会、姑宅で二週間、昼も夜も一緒に生活をしました。英会話が上達している娘とたくさん話をして、スルドイ質問をたくさんされました。 |
全1ページ
[1]







