イランで暮らしたことがある・・

過去を変えることはできない、だけど未来はまだ自分次第・・

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【バンコク16日共同】タイで発行部数最大のタイ・ラット紙は16日までに、読者などを対象にした調査を基に、同国のプミポン国王の在位60年記念祝賀行事に出席した25カ国の王族、皇族のうち「最も感銘を受け、最も洗練されていた」のは天皇、皇后両陛下だったと報じた。
 同紙は祝賀行事に出席した各国のロイヤルファミリーの特集の中で、両陛下はタイ王室と最も関係が深く「国民が最も(訪問を)待ち望んでいたロイヤルカップル」と紹介した。
 さらに、両陛下が13日にバンコク市内のチュラロンコン大を訪問した際、大勢の市民が待ち受けたことも「まったく驚きではない」とした。


海外に住むようになってから日本の皇室に対する見方が変わりました。天皇・皇后は「日本の誇り」と思うようになりました。皇室という地位が、というよりご人格、信じられないほどの忍耐、努力に対してです。今のお二人のように、と次の方々に期待するのは酷だという気もします。人間業ではないと思いますから・・「高貴」といういくら金を積んでも得られないものが日本の皇室にはあります。世界中探しても日本だけにしかない「宝物」ではないかと思います。次の世代はどうなるかわかりませんが・・

ところでイランにも28年前には王室がありました。たいへんな富をお持ちだったようですが、「高貴」だったかどうかはわかりません。

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シャーパーレビは亡命先で亡くなりましたが、元王妃と二男二女はアメリカで健在のようです。下の写真は元王妃と元王子・王女、当然ですがセレブなご様子ですね。ご長男は衛星TVにコメンテーターとしてよく出演しています。今どきのイラン人にはたいして影響力はないと思います。

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パンサーの宝石

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ブランド音痴なので何もわかりませんが、カルティエのパンテールといえばご存じなものなのでしょうか?イギリス国王がシンプソン夫人のためにつくらせたブローチが有名らしいですが、アリ・カーン王子の弟君のサドルディン王子も若かりし頃、イギリスのトップモデルのニーナ嬢に熱を上げて特注したそうです。あちらの王子様って楽しそうですよね。皇太子様にはこんなお楽しみはないでしょうから・・

豹のデザインはカルティエの定番となって今も売られているらしいですが(上の画像は指輪の半分)、お高いものなんでしょうね・・・そういえば私、宝石なんて買ってもらったことないです。結婚した頃、姑がごつい金のネックレス買ってくれたんですが、赤子がいたもので(汗)ろくに見もしないで引き出しに入れといたら夫に没収されてました・・猫に小判ってやつですね。

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洗礼を受けていた・・

夫と知り合う前に私はクリスチャンになって洗礼まで受けていました。30代後半で一人暮らし、仕事はなんとかあったが決まった相手がいなくて、自分だけが不幸なんだと思い込んでいました。早い話が典型的・それも重症な「負け犬」だったわけで、あの世界では「カモ」だったかもしれません。

英会話の教師夫妻(奥さんは日本人)に連れられて教会に行き、すすめられるままに洗礼って話になっちゃいました。教会に行ったからってたちどころに救われるわけじゃなし(そう言ってる人もいましたが)、私は依然としてぼろぼろな精神状態だったのに洗礼する側もどうかと思いますね。今思えば信者獲得・教会経営のためだったんでしょう。その後約束された「祝福」を期待していても何もなく(救われてもいないのだから当たり前です)、なんとその教会に内紛があって私の紹介者の教師夫人が「魔女」呼ばわりされるに至って教会とは疎遠になりました。あちらからすれば私も「魔女一味」ということだったのか、なにも言ってくることなく、あっけなく終わってしまいました。「魔女」なんて笑っちまいますが、本当にそう言っていたらしいです。

そこの教会の牧師さんが「癒しの力」をアピールするのがなんか違和感あったし、一方の英語教師夫人も「私は天使を見たのよ」なんていう方だったので(そこが魔女の由縁か)どっちもどっちのカルトだったようです。それまでの人生で私はそういう類の宗教には関わらずにきたんですが、考えとか信念があった訳じゃなくて全て直感で避けていました。その時も直感的なNOはあったんだろうけど、溺れるあまりにすがりついてしまった「汚点」です。

英語教師夫妻とのつきあいは続きましたが、事業拡大に失敗して(神様のお告げがあったからと強行したため)借金も踏み倒してアメリカに帰ってしまいました。「魔女騒ぎ」のおかげで私は抜けられてよかったのだと思います。教会には献金も大してしていなかったので被害はありませんでした。

本物のクリスチャンはもちろんいると思いますが、一般人より数倍ひどい偽クリスチャンが沢山いるのは例の婦女暴行事件でも明らかですね。「さわらぬ神に祟りなし」ってこういうことなんでしょうか。

戦後、アメリカの石油市場にコントロールされていた日本は、昭和28年、中東に独自のオイルルートを切り開いた。日本の出光石油は、国営化をめぐってイギリスと対立していたイランと石油の買い付け契約を交わし、所有のタンカー日章丸が神戸から極秘にペルシャ湾に向かった。イギリスは契約を認めず軍艦をマラッカ海峡に派遣し、海峡を封鎖して日章丸を拿捕しようとした。直前にイタリアのタンカーがイランから石油を買い付けてスエズ運河に向かった際、紅海入り口の英領アデンで拿捕されているので、マラッカに向かえばシンガポールに拉致される可能性が大きかった。日章丸はマラッカ海峡へ向かわず、スンダ海峡を大回りして川崎港へイラン原油を運んだ。敗戦で軍備を失った小国、日本の民間タンカーが護衛なし単独で英国艦隊の追尾を振り切った、まさに快挙だった。石油を買ってもらったイラン国民が拍手喝采したのは言うまでもない。プロジェクトX、出光石油えらいっ イギリスの圧力に屈しなかった当時の日本の政治家、外務省もえらい。 以下、出光石油社史より転載します。

        
「 1953(昭28)年3月、出光は、石油を国有化し英国と抗争中のイランへ、日章丸二世を極秘裏に差し向けました。同船は、ガソリン、軽油約2万2千キロリットルを満載し、5月、大勢の人の歓迎を受けて川崎港に帰港しました。
 これに対し、英国アングロ・イラニアン社(BPの前身)は積荷の所有権を主張し、出光を東京地裁に提訴。この「日章丸事件」は、法廷で争われることになりました。裁判の経過は連日、新聞でも大きく取り上げられ、結局、アングロ・イラニアン社が提訴を取り下げたため、出光側の勝利となりました。
 イラン石油の輸入は、その後、イランにおいてメジャー(国際石油資本)の結束が再び強化され、1956(昭31)年に終了しました。
 しかし、この「事件」は、産油国との直接取引の先駆けを成すものであり、日本人の目を中東に向けるきっかけになりました。また、敗戦で自信を喪失していた当時の日本で、国際社会に一矢報いた「快挙」として受け止められたことも歴史的事実です。 」


この辺の事情はもっと調べてみようと思いますが、直接買い付けは終了しても日本とイランの経済協力は
イラン革命までは続いていました。イラン人の対日感情が今のところ良いのは、日本が独自路線でイランとの友好関係を持っていたことが大きいと思います。その間、英米の圧力はあったんでしょうか・・・

日章丸「事件」当時の日本と今の日本、いったい同じ国なんだろうか・・・経済的に発展はしても、独自路線どころかアメリカの言いなり・・・資源を持たない日本が生き残るため「背に腹は代えられない」ことは確かにあります。しかし、アメリカが傘下にしようとする中東地域の石油資源のためには罪のない人たちの血が沢山流されています。これではアメリカの獲物の分け前を待っているだけのハイエナみたいじゃないですか。誇りを失うと人の心は死に向かいます。自国民の誇りを失わせるようなことをしながら、君が代を強制したところで愛国心など育つわけがないでしょう。

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