|
マラソン競技の由来が古代ギリシャにある、ということは良く知られていますね。マラトンの戦いで勝利をおさめたアテネ軍の一人の兵士がアテネの城門まで約40キロを走り、「わが軍の勝利」を告げて息絶えたという故事によるそうです。さて、アテネが勝ったのはわかるのですが、どこの国がマラトンで敗れたかご存じでしょうか? わかる方は古代史通ですね。 答えはアケメネス朝ペルシャで、遠征したのは皇帝ダリウス1世の甥のマルドニウス、紀元前490年のことでした。[第二次ペルシャ戦争] 今のイランとギリシャは相当離れているのになぜペルシャ軍がそんな所に居たか、不思議に思いませんか? アケメネス朝ペルシャは世界初の帝国と言われています。中国やローマよりも古い今でいう「超大国」で最盛期にはインドからエジプト・マケドニアまでの23カ国を支配下においていました。民主主義の発祥地、ギリシャもその射程に入っていたわけです。ペルシャ軍は何度も戦争をしかけて侵略を計ったのですが、アテネはスパルタと同盟を結んで対抗、[第三次ペルシャ戦争] ついに撃退したのです。 ※下は貢ぎ物を持って並んでいる各国使節のレリーフ。ペルセポリス宮殿謁見の間への大階段の壁です。 アレキサンダーの遠征はマラトンの160年後のことです。ペルセポリスの炎上は、ペルシャ軍がギリシャ神殿を破壊したことへの報復なんだそうです。当時のペルシャの宗教はゾロアスター教です。キリスト教も仏教も、イスラム教もまだない頃の話です。
|
古代史とか中世史
[ リスト | 詳細 ]
高校の世界史の授業では中世史とばされてしまって知らなかったんですが、面白いんですよ。ってわくわくするのは私だけ?
|
紀元前330年といえばはるかはるか昔の話ですが、マケドニアから遠征したアレキサンダー大王の軍勢がアケメネス朝ペルシャの王、ダリウス3世の都ペルセポリスの宮殿を焼き払いました。以来2300年以上も焼け残りの石の遺跡が、現在のイラン南部の都市シーラーズ郊外に残っているわけです。その頃日本は?といえば歴史上に名があるはずもなく、弥生時代ですよね。イラン人、古さの点では鼻高々でもしかたありません。
※上はイッソス(今のシリア)の戦いを描いたもので左に残っている顔がアレキサンダー、
右の槍を突きだしている人物がダリウス3世だそうです。ポンペイ出土のモザイク画でナポリ考古博物館蔵 ※下は現在のペルセポリス遺跡です。夏草はありませんが、「強者どもが夢の址」ですね。 露天なので酸性雨などが心配されます。 西欧社会では男の子の名前として、アレキサンダー(アレックスとかアレハンドロも同じ)は根強い人気らしいですが、イランにもダリウスという名前があります。イスラム教が来る前のペルシャ固有の誇らしい文化の象徴なんでしょうね。実は娘が生まれる前、名前をどうしようかという時に夫は男の子だったらダリウス希望でした。大王というより、同じ名前の歌手が好きなせいだったらしいです。ダリウスって日本ではちょっと、と思ってましたが結果は女の子だったので事なきをえました。イラン大使館は子どもの名前、日本風では登録してくれません。日本でもイランでも通りやすい名前はあまりなくて皆さん苦労されるようですが、サラちゃんとかアラシくんなんてのが候補ですね。ダルビッシュ選手の有はアリと読ませればイランの名前になるわけで、苦心作でしょう。 名前の話に脱線しましたが、シーラーズはイスファハンと並ぶイランの観光地です。バスで行くと西部劇のような荒れ地を延々と走って、コラーン門という凱旋門のような門に着きます。城塞都市というのでしょうか。日本にはない風景ですが、ロードオブザリングのような映画に出てくる風景に近いです。映画といえば「アレキサンダー」の出来はどうだったんでしょう。紀元前でギリシャがらみなので「トロイ」とまぜこぜにならないかしら・・・
|





