文亀年間に蒲池氏が築城。別名:舞鶴城 天正九年龍造寺隆信によって謀殺され蒲池氏は滅亡。天正十五年豊臣秀吉の九州平定後立花宗茂が城主になったが関ヶ原の戦で西軍についたために立花氏は追放され慶長六年筑後国主田中吉政が入部し近世柳川城・掘割を整備。 元和六年二代忠政が死去し無嗣により改易。再び立花宗茂が城主となる。明治五年不審火により炎上(焼失)
「柳川三年肥後三月肥前筑前朝茶前」・・・大友氏陣中で歌われた戯れ歌で柳川城を攻め落とすには三年かかるが、肥後国平定には三ヶ月。肥前・筑前国を攻略するのは朝飯前という意味で、柳川城は水の城と呼ばれ難攻不落九州屈指の堅城であったとされる。 現在ではへそくり山と呼ばれる小高い丘と石垣の一部を残すのみとなっている。 |
名所旧跡
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帰去来 北原白秋 山門は我が産土、雲騰る南風のまほら、飛ばまし、今一度。 筑紫よ、かく呼ばへば 恋ほしよ潮の落差、火照沁む夕日の潟。 盲ふるに、早やもこの眼、見ざらむ、また葦かび、籠飼や水かげろふ。 帰らなむ、いざ、鵲 かの空や櫨のたむろ、待つらむぞ今一度 。 故郷やそのかの子ら、皆老いて遠きに、何ぞ寄る童ごころ。 今日11月1日から三日間、詩人北原白秋の命日(2日)を偲んで白秋祭が催されます。 12月放送予定のドラマタイトル「飛ばまし、今」は、この帰去来の詩の一節です。 飛ばまし、今=今すぐにでも飛んで帰りたいという意味です。 |
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柳河藩第四代藩主・立花鑑虎が元禄10年(1697)に花畠という地名であった地に別邸を構えたことから、柳川の人々はここを御花と呼び広く親しまれています。ここ御花にある国の名勝指定「松濤園」は、仙台松島の景を模して造らせたという庭園で冬季には鴨が飛来します。
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筑紫よ、かく呼ばへば 恋ほしよ潮の落差 火照沁む夕日の潟。・・・北原白秋 帰去来より 筑紫よ、お前の名を呼べば、干満の差が激しい海を思い出す。夕映えの中に光るあの有明の海が恋しい。 最大6m以上の干満の差がある有明海。干潮時の干潟に煌めく夕日は、日本三大夕日に数えられる。 写真の左隅は蜘蛛手(くもで)V字の部分に網をかけ、上下させて魚を獲る有明海の伝統漁法です。 夕日の潟を恋人と二人で眺めながら、のんびりとした時間を過ごしてみては如何でしょう! |
寛政年間1789年に築造され、立花藩の勘定方であった吉田舎人兼儔(よしだとねりかねとし)が茶室を配して建築したかやぶき入母屋の平屋とそれに付随した庭園です。藩主に献上後は、茶室として使われていたものです。
庭園は、掘割の水を引き入れて造られた「築山山水」式で、小規模だが築山と水流を上手く組み合わせ、山水の妙をあしらった珍しく古風な「座観式茶室庭園」です。 実際に、建物奥の茶室に座り、そこから庭園を眺めると、静かで落ち着いた雰囲気が楽しめます。 建物は県文化財の指定、庭園は国の名勝に指定されています。 ■ 開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで) ■ 休館日 毎週火曜日(火曜日が祝日の場合はその次の日) 年末(12月29日〜1月3日) ■ 観覧料 一般(小学生以上)100円 ■ その他 北原白秋生家入館者は無料です。 受付でチケットをご提示ください。文化活動にもご利用できます。 詳しくはお問い合わせください・・・ 柳川市教育委員会 〒832-8555
柳川市三橋町正行431 TEL 0944-72-7111 内線222 FAX 0944-74-2707 |




